カトリーヌの「朝1日1映画」

朝の時間を有意義に♪

『黒い十人の女』(1961年 日本)

By Daiei Film - Fair use, Link

「誰にでも優しいってことは、誰にでも優しくないってことよ」(映画より)

今朝の1日1映画は『黒い十人の女』(1961年 日本)を鑑賞。

妻がありながら、ほかに9人の愛人を持つ男、風松吉(船越英二)。

やがて愛人たちは結束し、松吉を殺害しようと企てるが…。

名匠・市川崑が妻で脚本家の和田夏十のオリジナル脚本をもとに、ブラックユーモアを散りばめながら描いたミステリー映画です。

数年前に地元の舞台で見ているので、あらすじは把握した上での鑑賞。

「TVプロデューサー=チャラい」の構図って、80年代くらいからだと思っていたんですが(セーターを肩から下げた風の)、すでに60年代からあったんですねぇ。

道徳観のゆるい男を女10人がみんなで吊るし上げるという、それだけでも男性からしたらぞっとするような行為なんですが、それを殺人まで企てるっていうところがブラックですよね。

またその女性たちの中に、策略をそのまま信じてしまう人、裏で共謀する人などいろいろ出てくる。

そのストーリーの転がし方が面白いし、裏テーマとしての男女感の違いやズレが、後半で滔々と吐露される。

「なぜやったのか」を解き明かすミステリー要素とともに、「男の性(さが)」や「女の母性」などの人間ドラマの要素も兼ね備えていて非常に面白いです。

気づきとしてはまず撮り方。

照明で強い明暗対比を出す「キアロスクーロ」を用いていて、緊張の高まりを出し、鑑賞者の目を注目すべきところに誘導しています。

特に主演女優は、ほぼ完璧に照らされており、見栄えを強調。

逆に標的の男性、風プロデューサーは影になったり、背中からの逆光でぼんやりと淡いコントラストになったりと、男の「弱さ」を象徴する照明が多いです。

画面は三分割法によって、中心よりも左右、上下に人物を配置。

また奥行きのある美しい構図も多用されています。

それから夫と妻のシーンでは、高低差が。

妻が夫より常にちょっと上にいて、夫に対して上から目線なんですよね。

妻の背後から夫がしゃべるという立ち位置も多く、妻の方が精神的に強いことを表しています。

反対に新人タレントなどとの浮気現場では、その立ち位置が逆(風プロデューサーが上、女の子が下)になっています。

10人の女性のうち、主要な登場人物5人は、経営者2人、CM出演者、演出家、女優と社会的成功者が多く、お金の心配をしなくてもいい人たち。

女性による犯罪は貧困などによりお金が絡むことが多いですが、この映画にはまったくお金の話が出てこないというのが、1960年代の女性の社会的地位の向上と、それに伴う女性の精神的な変化を反映しているのかなと思ったりします。

また1953年にテレビが誕生し、1960年前後はテレビ局自体が儲かっていた時代でもあり、映画産業に危機が訪れる予兆として、市川崑監督はメディアに対する批判の意味も込めて描いてあるのかもしれないですね。

ミステリーですが、ブラックでユーモアもあり、社会や男女についても考えさせられる多面的な映画ですね。

PS:ラストシーンはミステリーの名作「チャイナタウン」(1974)のようでドキドキしちゃいました。

↓予告編

 
 

市川崑監督作品はこれらも見ました↓

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『ビッグ・ガン』(1973年 イタリア・フランス)

By http://www.movieposterdb.com/poster/807776b3, Fair use, Link

推進力のあるハッとするシーンに脱帽!
アラン・ドロン主演のこだわりの要素てんこ盛りのイタリアン・ノワール

今朝の1日1映画は『ビッグ・ガン』(1973年 イタリア・フランス)を鑑賞。

家族との平穏な暮らしを願い、殺し屋のトニー(アラン・ドロン)は足を洗うことを決意する。

しかし、それを知ったマフィア組織は彼を殺そうと刺客を差し向け、彼の妻と幼い息子が犠牲となってしまう。

悲しみの底で彼は復讐を誓い…。

『荒野の用心棒』でセルジオ・レオーネと共同脚本を務めたドゥッチョ・テッサリの監督によるアラン・ドロン主演イタリアン・ギャング・アクションです。

見初めてしばらくは先日見たフリッツ・ラング監督のフィルムノワール復讐は俺に任せろ』のような展開だなと。

ですが、だんだん様相が変わっていって、ものすごい推進力を持って見進めて、最後の最後までドキドキしながら見てしまいました。

復讐は俺に任せろ』では感情を描くシーン省略して、行動の中に感情を織り込むというスゴ技で見せていたんですが、こちらは「悲しむ」「怒る」などのシーンをちゃんと時間をかけて描いていて、見る者に直接的に訴える作りになっている。

その分、俳優に感情を表す演技が要求されるんですが、アラン・ドロンは無言で涙目になり、怒りを銃に込め、その表情に心を動かされるんですよね。

で、すごいと思ったのは、ハッとさせられるシーンを入れ込んであること。

カーチェイスもすごいんですが、風呂やスクラップ、水などを使って、予想をいい意味で裏切るびっくりするようなシーンがゴロゴロあるんです。

テーマもマフィア組織内の争い、復讐、恋愛と盛り込んであるんですが、それらがとても自然につながっていて、緊張感を作りつつ1本のストーリーラインが崩れず最後まで持続する。

これは推進力のあるシナリオだなと思いました。

また美術にもこだわりが。

最初の状況説明(セットアップ)のシーンで壁にモンドリアンの絵「コンポジション」が飾ってあるんです。

黒、白、赤、黄、青が升目になっているような絵なんですが、映画のセットやアクセントになる小道具が、すべてこの5色で配色されている。

最初のシーンでは、ギャングが真っ黄色のガウンを着ていて、トニーが撃つと、胸に血(赤)のシミが浮き上がる。

まるで生死を賭けたアクションペインティングを見ているかのようなシーンで、もうそこから最後まで繰り広げられる美的センスにノックアウトですわ。

ゴッドファーザー』のような“幸せの絶頂の直後のどん底”なんかも織り交ぜてあり、マフィアの生と死の隣り合わせやその世界で生きていかなければいけない哀愁も匂わせてある。

これは掘り出し物映画かもです(主演がアランドロンなんで、有名作品だと思いますけどね)。

↓予告編

 
 

アラン・ドロン主演はこちらも見ました↓

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『シン・ウルトラマン』と見比べてみました。

実相寺昭雄監督作品 ウルトラマン』(1979年 日本)

TVシリーズの復活を目的に、極めて人間ドラマ性が高く評価されていた実相寺昭雄が監督した第14話、15話、22話、23話、34話を再編集して作られた劇場映画。

実相寺監督の盟友である脚本家・佐々木守のカラーも色濃く反映されています。

先日見た『シン・ウルトラマン』のアングルについて、TVシリーズの監督を務めた実相寺昭雄のオマージュでしょうと教えていただき、この作品を鑑賞。

テレビシリーズの初代『ウルトラマン』をあまり知らない世代としては(再放送では見ているかもですが…)、『シン・ウルトラマン』を見てもピンとこないシーンがあったんですが、この『実相寺昭雄監督作品 ウルトラマン』を見ると、あー、あれが、あのことかーと謎が解けた気分です。

やはりTVシリーズは子供向けとして作られているので分かりやすいですね。

この作品はナレーションが全編にわたって入っていて、状況説明をするとともに隊員やウルトラマンを鼓舞するようなセリフも盛り込まれる。

マーチ風の曲とともに、隊員やウルトラマンを応援しようっていう雰囲気を作っていて、共感できます。

子供たち自身が描いた絵が怪獣に変身し、子供たちはウルトラマンではなく怪獣側に共感し応援してしまうというエピソードがあり、子供向け作品だけどちゃんと皮肉も入れ込んである。

また、怪獣はどこに行っても攻撃され、居場所がないというお話も。

きっと人間社会のメタファー(暗喩)として入れ込まれているんだと推測します。

勧善懲悪とはまた違って、多面的なものの見方を提示している部分が永遠の名作って言われる所以なんでしょうね。

アングルは確かにローアングルが多い。

大怪獣を見上げるシーンでローアングルで撮影すると、怪獣の大きさをより大きく感じることができて効果的だからでしょう。

でも『シン・ウルトラマン』ではそのバランスが極端で、誇張されてる気が。

たしかにちょっとやりすぎ感がある気もしますね。。(それも面白いんですけどね)

『シン・ウルトラマン』の物足りなさとして、個人的には「感情表現」がありまして。

闘っている時無言で、表情も無表情なので、戦いながらウルトラマンが今どういう状況なのか(力がまだあるのか、力尽きているのか、痛がっているのか、しんどいのかなど)が分からないんですよね。

カラータイマーがなくなったのも拍車をかけてて。

でもTVシリーズウルトラマンは、「ジュワッ」「シュワッチ」とか、格闘の際の威勢のいい声や飛ぶときの声などがあり、体力的にもなんとなくどういう状況か分かる。

怪獣も寂しがったり、痛がったりしているのが分かるようにしてあるんですよね。

それによって感情移入ができ、応援したくなる。

この違いは大きいと感じました。

(『シン・ウルトラマン』はデザイン的に声が出せないという説もありますが)

主人公にいかに共感して約2時間の物語を一緒に旅できるか…を考えた時に、私はこちらの作品が好きだなぁ(あくまで個人的感想です)。

画面的には1画面内でのパートカラー(部分的にピンクとかオレンジとか)は面白いですね。

また、土管とかテトラポットとか高度経済成長期の日本のインフラ整備を象徴する土木資材がたくさん出てきて、なんだかほっこり。

昔の子供は空き地で大冒険していましたね。

たぶん、こっちを見てから『シン・ウルトラマン』を見た方が100倍楽しめる、そんな気がしました。

PS:このTVシリーズ版では隊員たちがカレーを横一列で一斉に食べていて、ハヤタ隊員が急に外に出て変身する時、スティック状の変身アイテム「ベーターカプセル」と間違えて、カレースプーンを突き出すっていうシーンは面白かったです。
隊員の桜井浩子さん、「ウルトラセブン」の楽曲を作った冬木透さんのコンサートで4年前に来広されていました。

↓劇場版ウルトラマン予告集

 
 

『シン・ウルトラマン』の記事はこちら↓

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『男はつらいよ フーテンの寅』(1970年 日本)

たぐいまれなキャラクター「寅さん」の巧妙な面白さ

今朝の1日1映画は『男はつらいよ フーテンの寅』(1970年 日本)を鑑賞。

渥美演じる《フーテンの寅》こと寅次郎は、故郷の葛飾柴又でお見合いをすることに。

その後も、三重県湯の山温泉で若いカップルのために恋のキューピッドになろうとしたり、自身も温泉旅館の女将(新珠)と恋を育もうとするが……。

監督はシリーズ第1作でシリーズの原作者、山田洋次とともに脚本を担当した、自身も喜劇の名手である森崎東

男はつらいよ」シリーズの第3作目です。

男はつらいよ」は実家で父がいつも見ていて、みんなに「また寅さん…」と呆れられながらも、私も横で途中から見て、ついつい最後まで見て笑ってしまうという、そんな存在ではあるんですが、今回最初からちゃんと鑑賞。

いやー、子供の頃には分からなかったんですが、今見るとやっぱり面白いですね。

この寅さんというたぐいまれなキャラクターの魅力が全開で。

魅力の1つはまず「歌うようなセリフ」。
「わたくし、生まれも育ちも東京葛飾柴又~」っていう自己紹介の口上ですよね。

寅さんの声の音量は、的屋に集まるお客さんの人数、常に20人ぐらいに向けて発せられる音量で、セリフにも客観性があります。

そこがすでに誰かに聞かせるための「歌」のようなセリフであるということ。

さらに節回しがあって、歌のような心地よいリズムがあるんですよね。

次に、「感情のズレ」。

皆が笑っているときに寅さんは真剣だったり、寅さんが笑っているときにみんなは怒っていたりする。

寅さんが悲しんでいるときにときにみんなは笑い、寅さんが喜んでいるときにみんなは泣く。

寅さんには、周りの感情に流されない、またはみんなの感情より少し早く立ち直り次の感情へ移るという、常に周りとの感情のズレがある。

おっちゃんやおばちゃんから「寅はバカだねぇ」と言われるんですが、本当のバカとして描くのではなく、寅さんの客観性を持ったセリフの数々が非常に高度な感情のズレを作り出していて、そのズレに見ている物の感情が動くんですよね。

それらにズッコける、轢かれそうになる、落ちる、ケガをするなど、ドジなアクションを付けてさらに笑いを誘う。

寅さんを見て元気になれるのは、物語の登場人物にどんなにつらい事でもそんな「寅さんフィルター」を通すことによって、気持ちを上げていったり、マイナスをプラスに発想の転換をさせたりという効果があるからなんでしょうね。

すごいなー山田洋次さん&森崎東さんと思わずにいられません。

この3作目お話としては結構回転しているんですよね。

前半で映画1本分ぐらいの話が進んで、後半でもう1本見たような感覚になるくらい。

で、ちゃんとブックエンドのように最初と最後で関連したオチも付けてある。

テーマ曲や登場音のような感情を盛り立てる音楽の効果に加え、勘違いやお決まりの三段オチも分かっていても面白い。

巧妙な感情のズレが作るジェットコースターに次も乗りたいと思わせる雰囲気があるんですよね。

これだけの長期シリーズになったのが分かります。

逆に言えば、お決まりの展開も切り口を変えれば面白くなる。

癖になるものにはやはり秘密が隠されているんですね。

↓予告編

 
 

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『忍びの者 続霧隠才蔵』(1964年 日本)

まるで『ロッキー』のような感動が。
執念を燃やす最後の忍者、霧隠才蔵による一大活劇。

今朝の1日1映画は『忍びの者 続霧隠才蔵』(1964年 日本)を鑑賞。

大阪城落城後、真田幸村若山富三郎)とともに九州薩摩へ脱出した才蔵(市川雷蔵)。

家康方の優秀な忍者群の追求を退けながら南の海、種子島へ渡り、さらに薩摩から駿府へ飛び、城中奥深く宿敵徳川家康小沢栄太郎)に復讐の刃をもって迫る……。

最後の忍者として世を忍びながら生きる“忍びの者”シリーズの田中徳三が監督した第4作品目です。

前回見たシリーズ3作目『忍びの者 霧隠才蔵』の続きとなっていて、物語の後半が描かれています。

見終わって、なんだか感動の爽快感!

前作で、霧隠才蔵真田幸村を慕い、彼の任務を遂行するために己を消し生きる、実直かつクールなイメージで描かれていたんですが、この続編の方は彼の中の「人間性」が沸々と湧きあがっていて、弱きを助け、悪を倒すスーパーヒーローとしての一面が出てきます。

その中で自分の思いがままならないことも出てきたりする。

これまで「人のため」に戦ってきた才蔵ですが、それらを通してある意味「自分との闘い」も繰り広げていくんです。

影の存在だった男が、自分一人の力で悪の御大をやっつけに行く。

もはや「悪に勝つ」のと同時に「自分に勝つ」といういうことのようで。

その姿はボクシング映画『ロッキー』のようでもあります。

任務遂行から得た自己の成長。

変幻自在の表情を持つ市川雷蔵ならではの、内に秘めた悲しみや喜びが動きにセリフにあふれ出す、その様子を見て私も心を動かされてしまいました。

前作に続き、忍者としてのからくりや技も端々にあって見る者を飽きさせない。

音楽も効果的にバーンと付けるシーンもあれば、クライマックスでは刀の音と息の音以外は無音でよりその闇夜の怖さを印象付ける。

光と影、三分割法などによるコントラストのある画作りにも美しさを感じます。

見せ場がたくさんあってシリーズ化されているだけありますね。

史実とは違うシーンもありますが、それはフィクションとして楽しめる。

こういう映画はいつまでたっても色あせませんね。

↓予告編

 
 

前編の記事はこちら↓

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『シン・ウルトラマン』(2022年 日本)

iPhoneで撮影されたカットも。
感情を排した会話が織りなす“左脳系”密室劇

今日の1日1映画は、映画館でU-NEXTのポイントを使って『シン・ウルトラマン』(2022年 日本)を鑑賞。

謎の巨大生物「禍威獣(カイジュウ)」が次々に現れ、その存在が日常となった日本。

通常兵器が全く通用せず事態が長期化する中、政府は禍威獣対策の専従組織・通称「禍特対(カトクタイ)」を設立する。

田村君男(西島秀俊)を班長に、さまざまな分野のスペシャリストから成るメンバーが任務に当たる中、銀色の巨人が突如出現。

巨人対策のため、禍特対には分析官・浅見弘子(長澤まさみ)が新たに配属され、作戦立案担当官・神永新二(斎藤工)と組むが…。

1966年の放送開始以来親しまれている特撮ヒーロー「ウルトラマン」を、『シン・ゴジラ』などの庵野秀明が企画・脚本、樋口真嗣が監督を務め新たに映画化した作品です。

ウルトラマンについては詳しくなく、そんなに前知識なく鑑賞。

(ストーリー的なネタバレは書きませんが、それ以外のネタバレになっているかもしれないので、これから見る予定がある方はこの先注意してください)

なるほどー、これは大人の、しかも4~50代の男性が見ることをターゲットに絞った感がある「会話劇」となってますねー。

なんかね、『スタートレック』みたいなんですよ、雰囲気が。

スタートレック』もそこまで詳しくないんで雰囲気だけで言いますが、主人公は感情を排したしゃべりで、周りの主要人物も1人の女性以外はみんな小難しい物理学的な学術用語や専門用語を並べてしゃべっている。

シーンも戦闘シーン以外は室内が多く、会議室や災害用テントみたいな中でしゃべっている。

ほぼ密室劇なんです。

その密室を、ローアングルを多用してあらゆる角度から撮影。

手前に何かが入る○○越しのショット、シンメトリーに繰り返すカット割り、多くのカットを素早くつなぐ…etc。

密室の会話劇という、ある意味舞台のような空間を、映像的にいかに変化を付けて観客を飽きさせないかの工夫がしてあります。

それがまた奇をてらったようなアングルで。

椅子の下とか、股下からのショットなんて何回出てきたことか!

画面の隅っこに小さく映る人物、というショットもたくさん。

調べてみると、俳優や監督がiPhoneをたくさん置いて撮影したシーンがたくさんあるんですね。

どおりで!

画面の色味や広角のショットがiPhoneっぽいなーと思うシーンもありました。

映画の中で登場人物が使っているスマホのシーンもiPhoneでしたけどね。

それから、禍威獣(カイジュウ)が暴れるシーンで逃げ惑うエキストラのシーンは2シーンぐらいしかない。

しかもロングショットでモブ的で、アップになって個別に怖がっている人はいない。

建物などはガンガン壊されるんですけどね。

子供やお年寄りなどの社会的に弱い人々が移りこむと禍威獣の脅威が増すんですが、そこに暮らす市民の存在や感情を排した演出なので、それはいらないという判断なんでしょう。

なので“誰のために戦っているのか”というのがちょっと弱い感じはあるかも。

後半は哲学的な雰囲気もあって、エヴァンゲリオンのようでもあります。

終わり方は続編がありそうな感じ。

まあまあ面白かったかな。

テロップや変身シーン、音楽など、テレビシリーズ当時を踏襲した場面もあって、懐かしさも加味されていて。

ただ隣に親子連れが座っていたんですが、お父さんは面白かったと言っていましたが、子供は難解だったんだろうなーと思います。

戦闘シーンは見ごたえありますけどね。

長澤まさみが“面白いこと”になりますので、それは一見の価値ありです。

 


予告編

『忍びの者 霧隠才蔵』(1964年 日本)

市川雷蔵が軽やかな動きで魅せる
日本映画に「縦の動き」を生み出した忍者映画

今朝の1日1映画は『忍びの者 霧隠才蔵』(1964年 日本)を鑑賞。

秀吉の死後、関が原の合戦で豊臣方を破って天下統一した家康(中村鴈治郎(2代目))。

その覇権を名実ともに確立するため、15年の長きにわたって機を狙い、深謀遠慮の末に大阪城に砲弾を撃ち込む……。

徳川方についた裏切り忍者と死闘し、さらに単身家康暗殺に赴き秘術を駆使する才蔵(市川雷蔵)の活躍を描く田中徳三監督によるシリーズ第4作です。

この映画のシリーズは第3作までは主役が石川五右衛門市川雷蔵が演じていて、4作目以降は霧隠才蔵(きりがくれ・さいぞう)という忍者が主役で市川雷蔵が演じているという紛らわしさがあるようですが、この映画から見始めているのでサクっと見れました。

忍者映画はそんなに見た記憶がないんですが、任務遂行型のスパイ映画に近いものがありますね。

真田幸村に仕えた“真田十勇士”の一人の忍者・霧隠才蔵は基本的にクールで職人肌。

仕事に最善を尽くすため、恋はご法度だけど、揺れる男心みたいな。

そんな忍者を市川雷蔵が演じていて、権力争いの中で、反徳川の一手となり利用されながらも、「忍者が世の中を変えていきたい」と日々願っています。

健気に頑張っている姿は、スターだけど庶民的な雰囲気がある市川雷蔵さんにぴったり。

先日見た『大菩薩峠』のダークヒーロー机竜之助より、個人的には役柄としてこっちの忍者の方が断然合っている気がします(メイクも全然違うので別人のようです)。

忍者映画ということで、あらゆる忍びの術を披露しているんですが、中でもそれまでの日本映画にはあまりなかったと言われる「縦の動き」を生み出している。

宙を飛んでいたり、ロープでターザンのように舞い降りたり。

バク転しながら敵を欺き、もちろん刀や槍を使っての殺陣も見ごたえあります。

技法としては、光と影のコントラストが強め(キアロスクーロ)。

忍者という闇の存在を際立たせる手法として取り入れているんだと思いますが、それによって「ばれたらヤバイ」という緊張感が作り出されています。

また、「斜め構図」も多用。

陰謀の影や不安感を作り出すのに効果があります。

アクションが派手で、霧や煙、炎がすごい。

特に炎は本当に炎上している建物の中で撮影していて、多分ものすごい熱波の中で演じているのが心配になるくらいです。

今でこそCGなどでできますが、当時の役者さんって本当に体を張った演技をしていて頭が下がります。

権力との闘い、見ごたえのある忍者アクション、ほのかな恋。

「時代背景」「社会背景」「私的背景」の三拍子そろったバランスのいい映画ですね。

↓予告編

 
 

市川雷蔵主演作品は『大菩薩峠』(三部作)を見ました↓

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