「東京オリンピック」(1965年 日本)
↑記録映画を撮影する車
今日は特別にこの作品を。
「広島」と、「祖父の思い」を胸に。
今朝の1日1映画は「東京オリンピック」(1965年 日本)を鑑賞。
1964年に開催された東京オリンピックを撮影した、市川崑が総監督を務めた長編記録映画。
和田夏十、白坂依志夫、谷川俊太郎、市川崑の共同シナリオを軸に、ニュース、劇映画のキャメラマン164人が、イタリアテクニスコープ・カメラ5台と、200ミリ、1600ミリの超望遠レンズ、その他光学技術最高の技術をふるって撮影した、五輪映画初のワイド版。
昨日の開会式では泣かなかったけど、この映画はジーンとしてしまって朝から涙が…。
選手の活躍ぶりはさることながら、ドキュメンタリー作品ではあるんですが、構成を追って見てみると、これがまるで劇映画のように作ってあります。
オープニング&エンディングイメージの統一(夕日&テーマ文)、セットアップ(開催までの建設現場&聖火リレー)、きっかけ(開会式)etc…。
切り取り方も、競技そのものを記録するというよりは、舞台裏がよく分かる内容。
日本の復興、スタート前の緊張する選手の表情、敗退した選手の背中、倒れた選手が担架で運ばれる様子、独立して間もない国からやってきた孤独な選手、歓喜に沸く全世界からの観客、準備するスタッフの様子など、この一大イベントを体験したすべての人の内面にせまる映像になっています。
効果音は足音や呼吸などをクローズアップさせたり、無音+画面を白黒にしたりと緩急つけているし、音楽もパターン化された感動を過剰に誘うものではなく、夢に向かって突き進む人間の内面をあぶり出すような演出で、深い感動が。
総監督の市川崑は、『ビルマの竪琴』『野火』、のちに『犬神家の一族』で有名な劇映画の監督。
元々は黒澤明が総監督を引き受けていたのに、オリンピック開催6ヶ月前に降りてしまい、急きょピンチヒッターとして市川崑が総監督をやることになったという…。この時もバタバタだったんですね…。
個人的に印象的なのは、聖火リレーのシーンが「広島」から始まっていること。
市川監督は幼少期を広島で過ごしていて、家族8人とも被爆していますが、全員無事だったという経験があります。
市川監督はのちのインタビューでこう語っています。
「第一次世界大戦で中止、第二次世界大戦で中止。つまり4年に一度、人類が集まって平和という夢を見ようじゃないか。それがオリンピックの理念だとわかりました」。
「どうしても広島の原爆ドームからスタートさせたかったんです」。
「広島」を戦後の復興の象徴として描きたかったんだと思います。
個人的な話ですが、私の祖父は学生時代から高飛込の選手として活躍していて、オリンピックの予選には出たんですが、あえなく敗退。
国体には何度か出ていて、引退後は国体の高飛込の審査員をしていました。
祖父もきっと同じような思いを持って競技を行っていたんだろうなと思うと胸が熱くなります。
スポーツに関わるいろんな人々や、その時代を体験した多国籍の老若男女の生き生きとした姿がフィルムに収められていて、今、追体験することができることに感謝です。
予告編↓
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