『破戒』(2022年 日本)
過去に映画化された2作と見比べてみました。
今日の1日1映画は『破戒』(2022年 日本)を映画館で鑑賞。
亡くなった父から自身が被差別部落出身である出自を隠し通すよう強い戒めを受けていた瀬川丑松(間宮祥太朗)は、地元を離れてある小学校の教員として奉職する。
下宿先の士族出身の女性・志保(石井杏奈)との恋に心を焦がす丑松だったが、やがて出自について周囲に疑念を抱かれるようになり、学校内での丑松の立場は危ういものに。
丑松は被差別部落出身の思想家・猪子蓮太郎(眞島秀和)に傾倒していき…。
1948年に木下恵介監督、1962年に市川崑監督も映画化した島崎藤村の名作「破戒」を、「東京リベンジャーズ」の間宮祥太朗主演で60年ぶりに映画化した作品です。
一昨日に市川崑監督版、昨日木下恵介監督版を見て、今日前田和男監督版を鑑賞と、3日連続で他監督の同じ作品を見るというのは初めての試みなんですが、比較すると面白いですね。
(この先は、ストーリーのネタバレにならないように書いていますが、その他の部分で知りたくないことが書いてあるかもしれないので、映画を見る予定の方はご注意ください)
全体的な印象は、桜がひらひら舞い落ち、春のうららかな季節での若者の恋が主軸になっていて、木下恵介監督版を踏襲している感じがします。
過去2作と違う点は、生徒の子どものエピソードをフィーチャーしている部分。
市川崑版のような強烈なシーンや印象に残る画はなく、ほのかな恋や先生と生徒の心の交流に焦点を当てており、全体的にあったかい教育映画のような雰囲気があります。
子どものほか、主人公が居候している寺の僧侶や冒頭に出てくる老人など、子どもからシニアまで全世代のキャストの各エピソードを入れ込んであり、観客はそれらの誰かに共感できるような構図になっているのかも。
ただ、敵役以外はみんなまじめないい人というか、市川崑版だと飲んだくれとか色坊主とかいろいろ出てきたんですが、そういう個性はないです。
主人公が苦悩する様子もあるにはあるんですが、個人的には、過去2作に比べると描き方が弱いかな。
池部良演じる丑松は人知れず泣いてたし、市川雷蔵演じる丑松は身分がばれるのが怖くておどおどしていたんですが、そういった演技やシチュエーションは少なめ。
個人的には、主人公を応援したくなるような人物にしてある市川崑版が好み。
「身分がばれるとヤバイ」という出自の秘密を、スクリーンの中の主人公と観客とが共有している状態を作り、「いつばれるのかを考えるとハラハラドキドキ」という誰もが分かる形に落とし込んで推進力を持たせている部分にエンターテインメント性を感じます。
表情を捉える宮川一夫撮影監督のカメラワークや市川雷蔵の繊細な演技にも見ごたえがありますしね。
この前田監督版には、丑松の父親の職業が描かれていないのと、猪子連太郎の妻がいないというのも(見過ごしていたらすみません)。
そのあたりを省いて、先生と子どもの交流の部分を膨らましているんでしょうね。
泣ける感動作になっている感じです。
コロナ患者みたいな扱いのシーンもあって、全然違いますがなんか現代とリンクしてるとも。
子供たちの将来への希望につながるような描き方がしてあって、さわやかな作品です。
これから学校などでも上映されるといいですね。
PS:私が見た映画館では、昼に1日1回のみの上映で、若い人からシニア層まで結構お客さんが入っていました。
↓予告編
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過去に映画化された2作品を見た記事です。↓