『破戒』(1948年 日本)
木下恵介版と市川崑版を見比べてみました。
(本日はまず安倍元首相のご冥福をお祈りいたします。また、大雨の地域の方、お気を付けください)
今朝の1日1映画は『破戒』(1948年 日本)を鑑賞。
島崎藤村の小説『破戒』の初映画化作品。
阿部豊演出、高峰秀子、池部良主演でロケーションまで行われたが、争議のため製作を中止。
松竹京都が同企画をとりあげることに。
木下恵介が、松竹の東西一元化による演出家交流の第一陣として、とくに大船から京都へ出張して撮影。
東宝の池部良、松竹少女歌劇出身の桂木洋子、民芸から宇野重吉などが出演しています。
昨日見た1962年の市川崑監督・市川雷蔵主演版と見比べてみました。
印象として、重さが全然違う。
市川崑版は豪雪で寒さも人々も厳しく、虐げられている感を強く印象付けます。
こちらの木下恵介版は季節は春か秋でうららかで、千曲川の流れがキラキラしていて。
若い二人の青春恋愛ものの雰囲気がありますね。
木下監督はあえて原作を読まずに、脚本のイメージだけで演出するという方法が取られたとのことで、原作を読まなかったからこそ、しんどさの中にも明るさがあるのかもしれません。
映画のトータル時間が木下版の方が少し短いのですが、映画の構成が市川版とは違っていて、物語の背景(封建制度)を木下版では冒頭に長めの説明文のテロップを入れてから始まっていて、セリフで背景を説明する部分は少ない。
一方市川版は、冒頭に若干説明テロップは入るのですが、セリフの中に設定を入れ込んであり、前半はすこし説明調なセリフとなっています。
主人公のお父さんのエピソードを、木下版は映画の時間的に真ん中あたりに持ってきているのに対し、市川崑版は冒頭にもってきて、衝撃的な「つかみ」のシーンとしていれこんである。
カメラワークは、木下版は、どこまで続くの? どうやって撮っているの? というくらい登場人物を追いかけるドリーが特徴。
ロングショットで人物を捉え、数か所の要所のみアップショットが入るわりと演劇の舞台のような演出。
市川版は切り返しを多用し、ロングで風景の絶景、アップで役者の繊細な表情の変化を捉え、緩急があり非常にエモーショナルです。
音楽はともに感情にそった音楽が付きますが、バーンとか衝撃的な音楽を入れ込んでいるのは市川版の方。
回りの人間の描き方は、わりとキャラクター先行で思考に変化がなく分かりやすい人物像の木下版に対し、市川版は複雑な感情を持たせ、思考も変化しており、表情の捉え方もちょっとカサヴェテス監督を彷彿とさせます。
琴とか和紙の手紙とかを使って物に感情を込め、小道具を上手く利用しているのは木下版の方。
主人公の苦悩を細かいエピソードや演出で盛り上げて、共感しづらい主人公の内面を観客に分かりやすく表現してあるのは、市川版の方かもしれません。
池部良さん、イケメンですね。
今だとディーン・フジオカ風。
個人的にはカメレオン俳優・市川雷蔵が見ていて惹かれるものがありますが。
相手役の甘い笑顔の桂木洋子さんは可愛らしい方。
今の時代にも合ってる感じ。
さて、2022年版が楽しみになってきました!
↓予告編
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