カトリーヌの「朝1日1映画」

朝の時間を有意義に♪

「2001年宇宙の旅」(1968年 アメリカ)

f:id:katori-nu100:20211207222227p:plain

By Box Office Mojo, Fair use, https://en.wikipedia.org/w/index.php?curid=56707181

 

想像力で「余白」を楽しむ。

今朝の1日1映画は「2001年宇宙の旅」(1968年 アメリカ)を鑑賞。

スタンリー・キューブリック監督と原作者アーサ・C・クラークによる、映画史を代表する不朽の傑作SF。

昔見たことがあるんですが、よく分からず、淡々としているので眠くなった記憶が…。今回久しぶりに見ました。

映画が始まってから3分間真っ暗で、音楽だけ鳴っているっていう状態から始まり(TVが壊れているのかと思うほど)、「ヒトザル」という類人猿の行動、宇宙の話、宇宙飛行士のその後が3部構成で描かれます。

CGのない時代の撮影技術もすごいんですが、人類がまだ月に行ったことがない1968年に、想像で未来の世界をここまで描けているのも驚きですし、伝染病が流行するというデマが拡散し、進化し過ぎたAIに人間が翻弄されるという、今このコロナ禍の未来を予測したかのような内容も怖い。

音楽はクラシックと現代音楽。動きはゆっくりで、1部と3部は特にセリフが少なく、ナレーションもなく、抽象的なので、やっぱり分かりにくいんですが、今回、映画の構成という観点から見直すと、娯楽作品同様メリハリがあり、基本はしっかり構成されていることに気づきます。

でも、なぜこんなに抽象的なのか。

原作のクラーク氏は、難解なストーリーの内容の観客への理解を促すために、映画全編にわたって説明用のナレーションを多数書き上げていたそうなんですが、「言葉で説明をしてしまうと、せっかくの未知の世界との遭遇が、陳腐なものになってしまうから」とキューブリックは全く使われることはなかったそう。

この映画で描いたことが、われわれ未来の人々にどう映るのか、そこまで予測していたんでしょうか。

確かに説明しすぎると、未来には整合性が合わない部分が出てきて陳腐になりそう。

人間の想像力って、都合良く解釈するという便利な機能があるので、そう考えるとナレーションを入れなかったのは、キューブリックの英断といえるかもしれないですね。

音楽も当初はアレックス・ノースに作曲を依頼し、前半部分まで完成したスコアの録音まで完了していたそうですが、一切連絡せずリヒャルト・シュトラウスなどの音楽に差し替えてます。

訴訟寸前になり、迷惑な面もあったようですが、結果的には「どこかで聞いた事があるクラシック」に差し替えたことにより、観客にとっては「抽象的な内容で分かりにくいけど、知ってる曲だ」という、斬新な映像に伴う不安感を払拭する安心感が生まれ、不朽の名作といわれるまでの作品になりえた気がします。

未来の人間である私たちのために、想像力を使える「余白」を作ってくれておいたキューブリックに感謝です^^

予告編↓

 

↓U-NEXTで見ました。

 

アマゾンプライムビデオにもあります。

amzn.to

吹替版リンク

 

ブルーレイはこちら↓