『男はつらいよ フーテンの寅』(1970年 日本)
たぐいまれなキャラクター「寅さん」の巧妙な面白さ
今朝の1日1映画は『男はつらいよ フーテンの寅』(1970年 日本)を鑑賞。
渥美演じる《フーテンの寅》こと寅次郎は、故郷の葛飾柴又でお見合いをすることに。
その後も、三重県の湯の山温泉で若いカップルのために恋のキューピッドになろうとしたり、自身も温泉旅館の女将(新珠)と恋を育もうとするが……。
監督はシリーズ第1作でシリーズの原作者、山田洋次とともに脚本を担当した、自身も喜劇の名手である森崎東。
「男はつらいよ」シリーズの第3作目です。
「男はつらいよ」は実家で父がいつも見ていて、みんなに「また寅さん…」と呆れられながらも、私も横で途中から見て、ついつい最後まで見て笑ってしまうという、そんな存在ではあるんですが、今回最初からちゃんと鑑賞。
いやー、子供の頃には分からなかったんですが、今見るとやっぱり面白いですね。
この寅さんというたぐいまれなキャラクターの魅力が全開で。
魅力の1つはまず「歌うようなセリフ」。
「わたくし、生まれも育ちも東京葛飾柴又~」っていう自己紹介の口上ですよね。
寅さんの声の音量は、的屋に集まるお客さんの人数、常に20人ぐらいに向けて発せられる音量で、セリフにも客観性があります。
そこがすでに誰かに聞かせるための「歌」のようなセリフであるということ。
さらに節回しがあって、歌のような心地よいリズムがあるんですよね。
次に、「感情のズレ」。
皆が笑っているときに寅さんは真剣だったり、寅さんが笑っているときにみんなは怒っていたりする。
寅さんが悲しんでいるときにときにみんなは笑い、寅さんが喜んでいるときにみんなは泣く。
寅さんには、周りの感情に流されない、またはみんなの感情より少し早く立ち直り次の感情へ移るという、常に周りとの感情のズレがある。
おっちゃんやおばちゃんから「寅はバカだねぇ」と言われるんですが、本当のバカとして描くのではなく、寅さんの客観性を持ったセリフの数々が非常に高度な感情のズレを作り出していて、そのズレに見ている物の感情が動くんですよね。
それらにズッコける、轢かれそうになる、落ちる、ケガをするなど、ドジなアクションを付けてさらに笑いを誘う。
寅さんを見て元気になれるのは、物語の登場人物にどんなにつらい事でもそんな「寅さんフィルター」を通すことによって、気持ちを上げていったり、マイナスをプラスに発想の転換をさせたりという効果があるからなんでしょうね。
この3作目お話としては結構回転しているんですよね。
前半で映画1本分ぐらいの話が進んで、後半でもう1本見たような感覚になるくらい。
で、ちゃんとブックエンドのように最初と最後で関連したオチも付けてある。
テーマ曲や登場音のような感情を盛り立てる音楽の効果に加え、勘違いやお決まりの三段オチも分かっていても面白い。
巧妙な感情のズレが作るジェットコースターに次も乗りたいと思わせる雰囲気があるんですよね。
これだけの長期シリーズになったのが分かります。
逆に言えば、お決まりの展開も切り口を変えれば面白くなる。
癖になるものにはやはり秘密が隠されているんですね。
↓予告編