『曽根崎心中』(1978年 日本)
By Geneon Entertainment Ltd. Japan - Fair use, Link
梶芽衣子×宇崎竜童主演による圧巻の“全力”芝居!
大映ドラマの基礎となった、情緒を廃した演出の説得力
今朝の1日1映画は『曽根崎心中』(1978年 日本)を鑑賞。
醤油屋平野の手代・徳兵衛は、その真面目な仕事ぶりから主人に気に入られ店を継ぐように言われるが、それには娘を娶ることが条件だった。
しかし徳兵衛は遊女・お初と深く愛し合う仲。
しかも、お初にも結婚話が持ち込まれ、加えて徳兵衛には冤罪も着せられ、2人に残された道は…。
有名な近松門左衛門の原作を基に、増村保造監督が梶芽衣子、宇崎竜童主演で映画化した悲劇です。
子供の頃、大きくなったら峰不二子もだけど、梶芽衣子にもなれると思っていた私(とんだ誤算 笑)。
ワクワクで鑑賞しました。
『曾根崎心中』は文楽で見たことがあり、あらすじは何となく知っていたので気楽に見始めたんですが…もう熱量が半端ない!
死ぬことで一緒になれる…西洋だと『ロミオとジュリエット』なのかなと思いますが、死に向かうパワーが非常に強いんです。
で、ちょっとすごいところをまとめます。
1.「気持ち=セリフ」の全力芝居
日本人って、言葉は建て前で、心の内は正反対のことを思っているとか、言葉と行動が違うとか、その裏腹加減を映画で表現していたり、ニュアンスを描くものがあったりしますが(例:先日見た成瀬巳喜男監督『乱れる』など)、この『曾根崎心中』は置かれた状況や気持ちを全てセリフにしてあります。
それも豊かな日本語表現を使ってしつこいくらい胸の内を吐露し、劇中で同じ言葉を連呼する。
そのことによって、思いが何倍にも強くなり、説得力が増すんですよね。
「死にたい」「極楽で一緒にいたい」「男の意地、女の意地を通す」と何度も言われると、それだけ強い思いがあるなら…と見ている方は圧倒されるし、増していく死へのベクトルを否定できなくなる。
増村保造監督はイタリア留学して映画を学んだ人で、日本人の間接的な表現を嫌い、魂と魂のぶつかり合いのような直接的な表現を好む人。
のちの大映ドラマ(赤いシリーズ、「スチュワーデス物語」など)の基礎を作り上げた人で、あの大げさな設定や心の内もすべてさらけ出して演じる感じはここから来たのかと再発見です。
2.視線の芝居
梶芽衣子演じる女郎のお初は、目を見開き1点を見つめる演技で、ほぼ誰とも目を合わさないんですよ。
もう気持ちが「死」に向かっている。
生きている人間と目を合わさないことによって、もう魂がこの世になく、ものすごい熱量と集中力をもって「死」へ突き進んでいく感じがめちゃくちゃ伝わってくるんですよね。
「おくれ毛」も見事な演出で、徳兵衛への恋の炎に取りつかれ髪を整える余裕が無くなっていることを意味しています。
3.早いテンポ
映画は緩急が大事といいますが、この映画は急急急急急急で緩がない。
カットつなぎはパッパッパッとクロスディゾルブなどなく切り替わり、各カットの感情も不安、心配、トラブル、ケンカ(アクション)、追われる、など心的にも動的にも「どうなるんだろう?」ばかりです。
緩があると言えば、セリフ回しにリズミカルなテンポがある。
一言一言のセンテンスが短く、講談や念仏を聞いているような調子があり、そこに何ともいえない心地よさを感じます。
これは古来から文楽や歌舞伎などに見られる日本語の持つリズム(5.7.5的な)を、上手くセリフに生かしてあるのかもしれないです。
4.縦&奥行きの芝居
死にゆく若いカップルは「天国への階段」ともいうべき、高い場所へ登っていくんです。
その道のりで階段がよく出てきて、一つのモチーフとなっている。
また立ち位置が舞台的で、登場人物全員がカメラの方向を向いていて、中心にいるお初に他の人が背中越しにしゃべるというカットが結構あります。
まるで、舞台を見ているようなシーンなんですが、「視線を合わさない」主人公であることを考えると、奥行きも出るしすごく有効なんですよね。
階段や縁の下で画面の上下に人物を配置し、観客にはすべて丸見えだけど、奥の人からは手前の人が見えていないなど、「見つかったらヤバイ!」というちょっとスリリングな演出も。
まだまだ気づきはありますが、女郎お初を演じた梶芽衣子はこの映画で毎日映画コンクール 女優演技賞他、数々の賞を受賞。
あのすごみと儚さを兼ね備えた梶さんの演技はなかなか出せない域だと思います。
またすごい映画を見てしまった感がありますわ。