カトリーヌの「朝1日1映画」

朝の時間を有意義に♪

『狂った果実』(1956年 日本)


By May be found at the following website: https://www.cinematerial.com/movies/kurutta-kajitsu-i160440/p/hzx5y3tw, Fair use, Link

「要するに退屈なのよ、現代ってものは」(映画より)
フランスのヌーヴェル・ヴァーグに影響を与えた先駆的作品。

今朝の1日1映画は『狂った果実』(1956年 日本)を鑑賞。

仲間たちと豪勢な遊びを繰り返している裕福な大学生・滝島夏久(石原裕次郎)と、まだ純真な高校生の弟・春次(津川雅彦)。

春次は駅で見かけた女性・恵梨(北原三枝)にときめく。

やがて春次と夏久の両者が共に恵梨への思いを募らせていき……。

石原慎太郎の同名小説を、水の江瀧子がプロデュースし、中平康監督、石原裕次郎主演で描いた青春映画。

先日見た『処刑の部屋』(1956年6月公開)、『太陽の季節』(1956年7月公開)とともに、“太陽族映画”として社会現象になった作品です。

この「狂った」という表現、狂おしいほどの情熱とか、倫理的にはマズいけどそれを狂わすほどの愛とか、ラブロマンス映画としてのタイトルだと思っていたんですが…。

マジで狂っています。

サスペンスです(怖っ)。

でもこのギャップが良くて、見たあとにズドーンとくる。

チャラチャラした若者の軽快な作品と思ったら大間違いで、けっこう衝撃的です。

原作者の石原慎太郎さんは都知事時代しか知らないのですが、小説家時代(当時24歳!)はエロスとタナトス、肉体と精神、日常と非日常をいった二極間の揺れを、一流のファッション性、スピード性、娯楽性、荒々しい文体で表現して当時の文学界に新時代を築いた方。

それを映画化するにあたって、映画界にモダンを取り入れたプロデューサー水の江瀧子石原裕次郎中平康監督という新しい雰囲気・時代を切り開く逸材を発掘。

石原裕次郎はこの映画で新時代の大スターに。

中平康監督はスピーディーで軽妙洒脱な作品に力量を発揮し、新しい映像テクニックを試みていきます。

昨日の黒澤映画でも書いた「昔の映画は早口で聞き取りづらい問題」ですが、これって、わざとやっているらしい。

立ち止まってセリフを言い、セリフを言い終わって動く(時代劇だったらセリフを言い終わって斬る・斬られる)っていう、リアルではない、ある意味外連味あふれるお約束が効果的な演出もありますが、この映画は役者の動きがスピーディーで、早口でしゃべりながら動いて、駅の改札を飛び越えたら、気づいたときには海の上まで移動しているくらいの印象。

それくらい動き、セリフともにリアルでスピーディーであることが、この時代の斬新さだったんですね。

増村保造監督の、早いセリフ回しで速い動きというのも新しい時代の幕開けとして取り入れられたもの。

そういう時代だったんだということを認識すると、見方が少し変わる気がします。

裕次郎(当時22歳)の可愛さ、北原三枝(当時23歳)の品の良さと本能の思うままに男を欲するというギャップ、当時16歳だった津川雅彦の初々しさ。

岡田真澄(当時21歳)も細っそくてクール。

時代に自ら傷つきながら反抗した若者たちの姿を見ながら、今の映画には少ないヒリヒリとしたやけどのような痛みを味わえます。

トリュフォーゴダールなどの後のヌーヴェル・ヴァーグの作家達にインスピレーションを与えた作品。

この映画がなかったら、彼らの名作も生まれなかったかもしれない…映画の歴史を変えた作品ともいえます。

こういう作品はいつまでたっても色あせないですね。

↓予告編

 
 

石原慎太郎原作の「太陽族映画」と呼ばれる作品群、他の2本も見ました↓

いつもご覧いただきありがとうございます♪

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