『大菩薩峠 完結篇』(1961年 日本)
ラストシーンは圧巻。
3部作を内田吐夢監督版との比較してみました。
今朝の1日1映画は『大菩薩峠 完結篇』(1961年 日本)を鑑賞。
竜神の滝の断崖から落下した机竜之助(市川雷蔵)はお豊(中村玉緒)の助けで伊豆大湊の材木小屋に匿われていた。
お豊が廓に沈み、病に侵されてついに自害したと聞かされても、竜之助は少しも動揺せず、冷ややかだった。
虚無僧姿に身をやつして東海道を東に向かう竜之助を待つ運命は…。
中里介山による未完の同名長編時代劇を、市川雷蔵主演で映画化した大映版シリーズ三部作の完結篇。
前二作と同じく衣笠貞之助が脚本を執筆し、一部、二部の三隅研次から「おけさ唄えば」で雷蔵と組んだばかりの森一生が監督を担当しています。
映画って、監督が変わると本当に変わりますねぇ。
漫画のコマ割りのようなアップショットを多用し、画面に緩急をつける三隅研次から
森一生になるとミドルが多く全体的にテンポが速い。
これまで天気の変化はそこまでなかったんですが、激しい雷雨や嵐を入れ込み、劇的なシーンを作り上げています。
ラストシーンは圧倒的な「水」というモチーフが、人生の“流れ”に逆らえない主人公の「業(ごう)」を表している。
こちらはこちらで見ごたえがあります。
『大菩薩峠』3部作を、先日見た東映:内田吐夢&片岡千惠藏主演版と比較すると、内田吐夢監督版は「演劇的」。
画面の中で役者が立ち回り、スタジオを使った独特の照明効果を多用し、リアルよりも非現実な世界観を作り上げて魅せるタイプ。
カメラワークやカット割りを駆使し、スタジオより屋外ロケが多く、よりリアルな演出をしています。
主人公机竜之助のキャラクターも内田吐夢監督版は50代という年齢や見た目と素早い剣術のギャップが激しくある意味コミカルで芝居的。
市川雷蔵は顔のアップや立ち回りの美しさで見せる演出で、映画的です。
絵的やキャラクターの面白さでいうと、個人的には内田吐夢監督版かなという気がします。
棒読みセリフという声の演技を排除したキャラクターに、それ以外の部分でいかに盛るかを考えた時に、“おじさんなのに強い”というギャップを作っている内田吐夢監督版の方が面白いんですよねぇ。
三隅研次・森一生監督版はカッコイイ人がカッコイく演じていて、立ち回りは見ごたえがあるんですが、その分主人公のサイコパスさが分かりにくい。
そこがちょっと面白味に掛ける部分ではあります。
「お浜」「お登」「お銀」の1人3役は中村珠緒が素晴らしい。
あの感情豊かな声、しなやかな動き、細やかな表現力…。
ちょっと中村珠緒さんの過去作品をいろいろ見てみたくなります。
大菩薩峠、ほかにも4人ぐらいの監督が撮っているみたいですが、この大人気作品、また機会があったら他の監督のも見てみたいと思います。
↓予告編
第1部の記事はこちら↓
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