カトリーヌの「朝1日1映画」

朝の時間を有意義に♪

『赤い子馬』(1949年 アメリカ)

By The poster art can or could be obtained from the distributor., Fair use, Link

子馬を通して、子供&大人の成長を描く
アメリカ」を感じる映画

今朝の1日1映画は『赤い子馬』(1949年 アメリカ)を鑑賞。

反抗期を迎え、厳格な父(シェパード・ストラドウィック)に反発を覚えている少年・ジョディ(ピーター・マイルズ)。

ある日友人と街に出掛けていった父は、ジョディに赤毛の子馬を買って帰ってくる。

子馬にガビランと名づけ、その愛らしい姿に夢中になるジョディ。

だがある日、ガビランは納屋から姿を消してしまう。

J・スタインベックがカリフォルニアのサリナスバレーで過ごした子供時代の思い出をつづった初期の小説を、彼自身による脚本での最初の映画化。

アメリカの第一次世界大戦に参戦する数年前の牧場を舞台に、馬をモチーフに綴られる成長物語です。

一見子ども向けの映画かなと思ったら、意外と名作と呼ばれる3要素が盛ってある。

主要プロットとしては3つあって、1つは少年トムの、馬の飼育を通して成長を描くもの。

2つ目は牧場を経営する妻家族の中で、元教師で都会から来て疎外感を感じている夫&少年の父の成長を描く「私的&社会的背景」(嫁の実家に住んでいる“マスオさん”です)。

3つ目は開拓時代の“昔は良かった話”を何度もして家族にうんざりされるおじいちゃんを通してアメリカの時代の移り変わりを描く「時代背景」。

これらが広大な草原を走る馬や動物たち、寡黙だけど馬についてはプロフェッショナルな厩務員(きゅうむいん)ビリー(ロバート・ミッチャム)とともに描かれていて。

家族でテーブルを囲み、妻&母親が作るグラタンみたいな料理を食べたり、上手いコーヒーを煎れてくれというおじいちゃんに、アンティークな藍色のチャイナ風カップ&ソーサーでコーヒーを煎れたりする“食”の描写も当時のアメリカの田舎を感じさせてくれる。

音楽も感情によりそっていて見やすい。

3世代それぞれのエピソードを描きつつ、トータルで当時の「アメリカ」を見ることができ、ほっこりとした気持ちにさせてくれます。

子供の時に動物を飼うことは心を成長させますね。

↓予告編

 
 

厩務員・ビリー役のロバート・ミッチャムって、一度見たら忘れられない個性がありますよねぇ(眠たそうな目は元ボクサーの時に負傷した名残りだそう)。この映画も好きです(元祖指タトゥー)↓ いつもご覧いただきありがとうございます♪

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号泣した映画3本

お題「邦画でも洋画でもアニメでも、泣けた!というレベルではなく、号泣した映画を教えてください。」

いつもご覧いただきありがとうございます。

たまには、はてなブログさんの「みんなのお題」に答えてみようと思います!

昨年このブログを始めて550本ぐらい映画を見ているんですが、過去に書いた記事から「号泣」で検索すると以下3作品がありました。

 

katori-nu100.hatenablog.com

katori-nu100.hatenablog.com

katori-nu100.hatenablog.com

これら、ぜんぶいい作品なんですよ~。(簡単な内容は各記事をご覧ください↑)

朝から号泣した日は、その日がなんだかドラマチックな一日となり、映画の世界につつまれて一日が終わるなんてこともあったりします。

私が号泣するポイントは他の方とは違うかもしれないので、これらの作品がすべての方に「号泣できますよ」とおすすめできるとも限らないんですけどね。

この他、昔見た映画では『ニュー・シネマ・パラダイス』ですね。

最初と最後だけ見ても号泣できるという(途中、寝ていたとしても 笑)。

この先も号泣できる映画に出会えたらいいなぁと思います。

 
 

 

 
 

 

 

『キリマンジャロの雪』(1952年 アメリカ)

By Derived from a digital capture (photo/scan) of the film poster, Fair use, https://en.wikipedia.org/w/index.php?curid=18371252


「誰もが時間があると慢心し、結局何もできない…ドアの向こう側には、いつだって死が待ち構えている」(映画より)

今朝の1日1映画は『キリマンジャロの雪』(1952年 アメリカ)を鑑賞。

主人公の小説家ハリー(グレゴリー・ペック)はシカゴでの初恋に破れて以来、世界を放浪する身となった。

パリで知り合ったモデルをするシンシア(エヴァ・ガードナー)との恋は熱烈だったが、家庭を持ちたがる彼女とは衝突も多く、彼女の故意の流産が原因で一旦は破局を迎える。

リヴィエラでは彫刻家の伯爵夫人リズ(ヒルデガード・ネフ)と関係を持つが、これは一時の逃避、気休めにすぎなかった。

スペイン内戦に義勇軍として参加、束の間のシンシアとの再会に愛は再燃するが……。

アーネスト・ヘミングウェイが自身の最高傑作と賞した短編小説を、『さすらいの涯』のケイシー・ロビンソンが脚色、『愛欲の十字路』のレオン・シャムロイが撮影、『地球の静止する日』のバーナード・ハーマンが音楽を担当した作品。

グレゴリー・ペックスーザン・ヘイワードが主演のメロドラマです。

回想録風になっており、スペイン内戦で脚の壊疽で瀕死の状態となったハリーが、自分の過去を走馬灯のように振り返る話。

主軸は忘れられない女性・シンシアとの出来事。

作家として世界を旅して取材がしたい活動的なハリーと、子供を産み育てるため安定した生活がしたいシンシア。

子供ができたことをパートナーを気遣って言えないシンシアの行動は、先日見た『山の音』の菊子(原節子)を彷彿とさせ、こういうことって日米の女性で考えることが同じというのも意外です。

でもこのハリーは『山の音』の修一(上原謙)と違ってめっちゃいい人。

女性なら見ると、ああ、この人なら介抱してあげたいと思わせる魅力があり、さまざまな女性とのロマンスもすべて納得感があります。

映画としては、ラブロマンスでありながら、アフリカで野生動物からの攻撃の恐怖を感じながら過ごすアドベンチャー要素、戦争取材のために義勇兵となり闘う戦争ものの要素などが入れ込まれてあって、飽きさせない。

フィナーレとなるラストにまで衝撃的なシーンが入れ込んであって、さすが緩急の付けどころが計算されています。

技法としては影の入れ方や、セット撮影のカットとアフリカの野生動物のカットとのモンタージュ編集が上手いことされていて、迫力はありますね。

セリフも詩的なものや、皮肉や洒落の利いたカッコいいものがたくさんある。

そして、前半の伏線的な出来事を後半でばっちり回収できるのも爽快感があります。

死にそうに痛くてしんどくて辛い時、こんなふうに過去のロマンスを思い出しながら愛する人に見守られて看病されたいなぁと妄想をしてしまう、いい映画ですね。

↓予告編

 
 

グレゴリー・ペック主演映画はこちらも見ました↓

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『卍』(1983年 日本)

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画像:リンクより

谷崎潤一郎原作。
愛欲の中で「ホラー要素」&「刑事」が人間の深部ををあぶりだす

今朝の1日1映画は『卍』(1983年 日本)を鑑賞。

人妻の園子(高瀬春奈)は、ある日街の高級店でつい万引きを働いたところを、ひとりの若い女性に目撃されてしまう。

やむなく園子は、相手の後をつけて彼女の住居まで押し掛け、光子(樋口可南子)というその女性に、どうか今回のことを見逃してくれと頼み込む。

取っ組み合いのケンカの末、2人はすっかり仲良くなり、園子は次第に光子との同性愛にのめり込んでいく。

園子の夫の現職刑事・柿内(原田芳雄)は、やがて妻の変化に気付き、光子を追い払おうとするのだが…。

文豪・谷崎潤一郎の同名小説を横山博人監督が再映画化。

1組の夫婦を倒錯的な愛憎関係へといざなうヒロインを、樋口可南子が小悪魔的な魅力満点に演じた文芸エロス映画です。

今、海外文学&日本文学が原作の映画をいろいろ見ていますが、永井荷風谷崎潤一郎が原作の映画はエロス作品が多く、この作品はどうなんだろう…とドキドキしながら鑑賞。

いやー、面白いですねー!

さすが文豪が原作の作品は、ただのエロスではない、ちゃんと人間の深部まで描いていらっしゃる。

個人的に、男性×女性という恋愛に、もう一人男性もしくは女性がプラスされて三角関係を作るとき、同性愛を入れると話に必然的にねじれができて面白くなるというのがあると感じるんですが、この作品もその典型。

さらに「ホラー要素」が入っているところが秀逸。

刑事とその妻という平凡そうに見える家庭の中に、妻のある行為がきっかけで女が侵入してくる。

友人の「あの子、そのうち園子の手に負えなくなるわ」という預言通りとなっていく様が、コロコロと展開していきます。

一見、エロスということでそっちがフォーカスされがちですが、この女・光子によって、夫婦のちょっとしたほころびがあぶりだされ、それぞれが本心を吐露し、食いつぶしていく様子が見もの。

その様は、家という狭い空間で展開する、人間の欲から生まれるモンスターのよう。

しかもこの主人公・光子が「関西弁」というのもポイントで、標準語の本音と建て前を使いわけたような人間関係から、関西弁で本音や本心をズバズバと言い当てていく様が、ある意味支配的であり、知らず知らずのうちに本能をえぐり出されるような効果もあって。

欲しいものをしたたかに手に入れる人間、理想を追い求めるがあまりそれに負ける人間の構図が、世の中の縮図のようでもあります。

夫が刑事というのもこのモンスターの女と近い役割を持っていて、犯人を取り調べによって供述させていく様がまさにそう。

前半の秘密めいたドキドキな関係から後半のコミカルな演出の中で本能&本心をむき出すまで、感情の波がジェットコースターのように設計されていて、脚本&監督さんの力を感じます。

主演の光子は樋口可南子さんだったんですねー。

最後まで気づかず(今のふわっとした雰囲気と違いますね)。

樋口さんの細くて華奢な身体の線と、園子役の高瀬春奈さんの女性らしい線が対比的に美しい。

原田芳雄さんの途中でひげをそる行為も、お話のキーポイントかも。

技法的には回想はモノクロ、ドリーでずっと右方向にカメラが進んでいるように見るけど、同じシーンが繰り返されているなどは面白いかな。

構成や設定から言葉までが見事な作品ですね。

PS:谷崎潤一郎の原作は、増村保造監督の1964年版、服部光則監督の1998年版、井口昇監督の2006年版と何度も映画化。それぞれ機会があったら見てみたいです。

 
 

谷崎潤一郎原作の映画はこれらも見ました↓

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『獲物の分け前』(1966年 フランス)

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画像:リンクより

20代のジェーン・フォンダがまぶしい
アート&オリエンタルなフランス映画

今朝の1日1映画は『獲物の分け前』(1966年 フランス)を鑑賞。。

莫大な遺産を相続しながら、家庭に縛られたくない若く美しいルネ(ジェーン・フォンダ)は、20歳以上も年上の初老の事業家アレクサンドル(ミシェル・ピッコリ)と結婚する。

愛のない二人はパリ郊外の豪邸で暮らし始めるが、そこにはアレクサンドルの先妻の息子マクシム(ピーター・マッケナリー)がいた。

次第にマクシムに夢中になり、夫の目を盗んではマクシムと体を重ね合うルネ。

ついにはすべてを放棄してマクシムと駆け落ちしようとまで思いつめるのだが…。

エミール・ゾラの原作をロジェ・ヴァディム監督が映画化。

ハリウッドを代表する大女優ジェーン・フォンダが、女優として大成する前の20歳代に、フランスに渡って出演した官能系ドラマです。

印象としては奇抜ですねぇ。

現代アートのような絵やオブジェで彩られた部屋。

中国人の友人に中国語を学ぶ息子。

彼は和服(留袖)をガウン代わりにまとっている。

銃をもてあそび、突拍子もない行動に出る若妻。

罪悪感がそこまでない息子と若妻の恋…。

多分、原作としてはフランスの古いブルジョアジーの終焉、退屈さを紛らわすための狩りや仮装パーティー、許されない恋愛や冷えた夫婦関係もその範疇という富豪を皮肉った内容だと思うんですが、映画としてはその皮肉さや主人公の心理描写や背景がちょっと薄いというか、ものたりない。

どちらかというと、現代アートインド音楽や東洋のオリエンタリズムなど、70年代の流行を切り取った映画という方がしっくりくる気がします。

ジェーン・フォンダのために撮った映画という気も。

監督のロジェ・ヴァディムは、前年にジェーン・フォンダと結婚。

衣装がファッションショーのようにコロコロ変わり、シースルー越しのヌードシーンなど、彼女の美しさをフィルムに収めたいというのがあったんでしょうね。

ただ美しいシーンだけでなく、ずぶぬれ&ドロドロのシーンもあって身体を張ったシーンも。

ロジェ・ヴァディム監督はこの作品ののち、続いてジェーン・フォンダ主演『バーバレラ』(1967)も撮っています。

(最初の妻は18歳のブリジット・バルドーだから、美女を見出す才能があったのかも)

あと印象的なのは、鏡のシーンを多用していること。

画面に広がりが出るのと同時に、自身の中にいる本心をあぶりだす効果も。

また歪みのある鏡やドロステ効果(合わせ鏡)のような画面も多く、人間関係の歪みをメタファー(隠喩)として表現してある気がします。

アート&富豪という、フランス映画らしい映画ですね。

 
 

原発事故の真実を伝えようとする女性リポーター役をジェーン・フォンダが熱演↓

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『山の音』(1954年 日本)

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画像:リンクより

ノーベル賞作家・川端康成の小説「山の音」が原作
戦後の家族や男女を成瀬巳喜男監督が描く

今朝の1日1映画は『山の音』(1954年 日本)を鑑賞。

信吾(山村聡)は修一(上原謙)・菊子(原節子)の息子夫婦と同居しているが、息子には愛人絹子(角梨枝子)がいて、妻を省みようとしない。

やさしい嫁を不憫に思う義父は、夫婦の関係を何とか修復しようと誠意を尽くすが・・・。

ノーベル賞作家・川端康成の小説「山の音」が原作。

鎌倉のとある中流家庭を舞台に、老境に入った男が、同居する若く美しい息子の嫁に抱く複雑な感情を名匠・成瀬巳喜男が監督した作品です。

原作は未読ですが、原作とは違う描き方をしてあるようで、原作は信吾の心模様を丁寧につづっていますが、映画は信吾よりも女性が主役といってもいいほど。

姉の死で代わりに結婚した(のであろう)信吾の妻、気遣いが多く女中のように使われる嫁の菊子、夫が浮気して2人の子を連れて里帰りしてくる娘、菊子の夫の愛人の絹子。

封建的、閉鎖的な社会からの女性の自立や自由な生き方を描いた作品を多く撮っている成瀬巳喜男監督だけに、この作品も女性の描き方がリアル。

戦後の混乱の中生きる男性たちを周りで支えつつも、それぞれが一人の女性として生き方を選択し、どう自分の足で歩いていくかというのが描かれていて、女性ならこの4人の誰かに共感できるんじゃないかなと感じます。

それにしても、修一(上原謙)がねぇ、女性からしたらめっちゃ悪!

今世間では某スポーツ選手の女性スキャンダルが騒がれていますが、この開き直りようはその比じゃない気がします。

産む・産まないとなったときに、ひっそりと泣き寝入りするのか、一人で産んで育てるのかという選択を、女性が自分で決断しているところが原作と違っていて、成瀬巳喜男監督の考える女性像なんだろうなと感じました。

揺れる電車内で気持ちが揺れるシーンを撮影し、ずっと並木が続く晴れやかな道で人生を切り開くシーンを撮影するなど、心情と風景がリンクしているのも心地よい。

それにしても原節子さんって義理の嫁役が似合いますね(あの笑顔がいい意味で営業スマイル的だからかな)。

また朝から心を揺り動かされる名作に出会ってしまいました。

PS:同じ撮影クルーが同じ年に『ゴジラ』 (1954年) を撮影しています。

↓予告編

 
 

成瀬巳喜男監督作品はこれらも見ました↓

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『死刑執行人もまた死す』(1943年 アメリカ)

By Derived from a digital capture (photo/scan) of the Film Poster/ VHS or DVD Cover (creator of this digital version is irrelevant as the copyright in all equivalent images is still held by the same party). Copyright held by the film company or the artist. Claimed as fair use regardless., Fair use, Link

ドイツからの亡命者であるブレヒト(脚本)×ラング(監督)が描く反ナチス フィルム ノワール

今朝の1日1映画は『死刑執行人もまた死す』(1943年 アメリカ)を鑑賞。

所は独軍占領下のプラハ

暗殺犯であるフランツ医師(ブライアン・ドンレヴィ)は追跡の包囲網の中で、マーシャ(アンナ・リー)の機転によって危機を救われ、そのまま彼女の家に匿われる。

ドイツの秘密国家警察ゲシュタポは犯人が捕まるまで、市民の無差別殺害を宣言。

マーシャの父(ウォルター・ブレナン)も連行される。

父を救うため、フランツに自首を請うマーシャだが、彼はレジスタンス活動の意義を説き、抵抗し取り合わない。

やがて、彼の身にも危険が迫るが、マーシャを始めとする市民たちの偽証で、ナチ側のスパイだったチャカが暗殺犯に仕立てあげられる……。

第二次世界大戦中に実際に起こった、ナチス・ドイツ保護領ベーメン・メーレン(チェコ)の統治者ラインハルト・ハイドリヒの暗殺作戦をヒントに、2人ともドイツからアメリカへの亡命者であるベルトルト・ブレヒト(オリジナルシナリオ)、フリッツ・ラング(監督)が映画化。

サスペンス要素の中に、ナチスが市民に行った殺りく行為を盛り込んだ、痛烈にナチスを批判した映画となっています。

ストーリーとしては冒頭からラストまで、終始ゲシュタポが追ってくるので、何とか知恵を出しながら逃げたりはぐらかしたりという展開が見どころ。

ただ、罪なき市民が犯人捜しのために集められ、次々に呼ばれていくシーンは『シンドラーのリスト』的な何とも言えない辛さがあります。

1943年の映画でなんですが、映像が綺麗(修復されているっぽい)。

印象的なのは人物のシルエット。

謎めいた存在感を示しています。

舞台がチェコということからか、BGMにはチェコ人の作曲家スメタナの「我が祖国より『モルダウ』」が。

時代は違いますがチェコの独立を切望したスメタナの意志を、この映画でのナチスに迫害されるチェコ人の思いに重ね合わせてあるよう。

こういうダイレクトな内容の映画を1943年という第二次世界大戦の真っただ中に上映。

その後1950年代の冷戦の赤狩り時代に突入すると、共産主義を煽る映画ということで上映禁止となり、再び上映されるのは1970年代になってからという歴史も。

映画の背景にある歴史とともに見ると、感慨深さが増す作品です。

↓予告編

 
 

フリッツ・ラング監督作品はこれらも見ました↓

  

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