『卍』(1983年 日本)
画像:リンクより
谷崎潤一郎原作。
愛欲の中で「ホラー要素」&「刑事」が人間の深部ををあぶりだす
今朝の1日1映画は『卍』(1983年 日本)を鑑賞。
人妻の園子(高瀬春奈)は、ある日街の高級店でつい万引きを働いたところを、ひとりの若い女性に目撃されてしまう。
やむなく園子は、相手の後をつけて彼女の住居まで押し掛け、光子(樋口可南子)というその女性に、どうか今回のことを見逃してくれと頼み込む。
取っ組み合いのケンカの末、2人はすっかり仲良くなり、園子は次第に光子との同性愛にのめり込んでいく。
園子の夫の現職刑事・柿内(原田芳雄)は、やがて妻の変化に気付き、光子を追い払おうとするのだが…。
文豪・谷崎潤一郎の同名小説を横山博人監督が再映画化。
1組の夫婦を倒錯的な愛憎関係へといざなうヒロインを、樋口可南子が小悪魔的な魅力満点に演じた文芸エロス映画です。
今、海外文学&日本文学が原作の映画をいろいろ見ていますが、永井荷風と谷崎潤一郎が原作の映画はエロス作品が多く、この作品はどうなんだろう…とドキドキしながら鑑賞。
いやー、面白いですねー!
さすが文豪が原作の作品は、ただのエロスではない、ちゃんと人間の深部まで描いていらっしゃる。
個人的に、男性×女性という恋愛に、もう一人男性もしくは女性がプラスされて三角関係を作るとき、同性愛を入れると話に必然的にねじれができて面白くなるというのがあると感じるんですが、この作品もその典型。
さらに「ホラー要素」が入っているところが秀逸。
刑事とその妻という平凡そうに見える家庭の中に、妻のある行為がきっかけで女が侵入してくる。
友人の「あの子、そのうち園子の手に負えなくなるわ」という預言通りとなっていく様が、コロコロと展開していきます。
一見、エロスということでそっちがフォーカスされがちですが、この女・光子によって、夫婦のちょっとしたほころびがあぶりだされ、それぞれが本心を吐露し、食いつぶしていく様子が見もの。
その様は、家という狭い空間で展開する、人間の欲から生まれるモンスターのよう。
しかもこの主人公・光子が「関西弁」というのもポイントで、標準語の本音と建て前を使いわけたような人間関係から、関西弁で本音や本心をズバズバと言い当てていく様が、ある意味支配的であり、知らず知らずのうちに本能をえぐり出されるような効果もあって。
欲しいものをしたたかに手に入れる人間、理想を追い求めるがあまりそれに負ける人間の構図が、世の中の縮図のようでもあります。
夫が刑事というのもこのモンスターの女と近い役割を持っていて、犯人を取り調べによって供述させていく様がまさにそう。
前半の秘密めいたドキドキな関係から後半のコミカルな演出の中で本能&本心をむき出すまで、感情の波がジェットコースターのように設計されていて、脚本&監督さんの力を感じます。
主演の光子は樋口可南子さんだったんですねー。
最後まで気づかず(今のふわっとした雰囲気と違いますね)。
樋口さんの細くて華奢な身体の線と、園子役の高瀬春奈さんの女性らしい線が対比的に美しい。
原田芳雄さんの途中でひげをそる行為も、お話のキーポイントかも。
技法的には回想はモノクロ、ドリーでずっと右方向にカメラが進んでいるように見るけど、同じシーンが繰り返されているなどは面白いかな。
構成や設定から言葉までが見事な作品ですね。
PS:谷崎潤一郎の原作は、増村保造監督の1964年版、服部光則監督の1998年版、井口昇監督の2006年版と何度も映画化。それぞれ機会があったら見てみたいです。
谷崎潤一郎原作の映画はこれらも見ました↓
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