『嵐が丘』(1988年 日本)
画像:リンクより
吉田貴重監督が松田優作×田中裕子で映画化。
アメリカ版(1939)と見比べてみました。
今朝の1日1映画は『嵐が丘』(1988年 日本)を鑑賞。
時は中世。
父の神を祀る山部一族の東の荘の当主・高丸(三國連太郎)は、ある日都から鬼丸と名づけた異様な容貌の童児を連れて帰る。
鬼丸(松田優作)は下男として仕えたが、高丸の嫡子・秀丸(萩原流行)は鬼丸に嫉妬した。
秀丸の妹・絹(田中裕子)は京に上り巫女となる身だったが、鬼丸に惹かれて一計を案じ、西の荘の嫡子・光彦(名高達男)に嫁ぐことにした。
式の前日、鬼丸と絹は結ばれ、変わらぬ愛を誓い合う……。
構想28年、巨匠・吉田喜重監督がエミリー・ブロンテの「嵐が丘」を日本の鎌倉時代に舞台を移した傑作時代劇です。
昨日見た『嵐が丘』(1939)と見比べてみると、全く違う世界観。
セリフ回しはゆっくりで、衣装やセットも能や歌舞伎が意識されでいる。
アメリカ版の貧富の差や揺れ動く女性の気持ちなどの現実的で具体的な行動というよりは、もっと様式美的であり観念的。
主人公の描き方も反対で、甘くて優しい言葉を発するアメリカ版と違い、「鬼」として描かれているので、その表情は「般若」のよう。
人の一生が生まれながらの運命によって強制されてしまう時代。
怨念や嫉妬などの深い感情を背負った化身としてふるまうその姿には怒りと同時に悲しみがにじみ出ていて、愛する者への貫き方や敵対する者への復讐心が凄まじいです。
荒廃とした火山のようなロケ地は富士山の太郎坊で、白と黒のコントラストの中を鮮やかな能の衣装を被り鳥居を走り抜ける主人公や、超ロングショットでのたいまつをもった群衆がシルエットで通る様子はまるで絵のよう。
密会のシーンは格子戸越しや望遠で撮ってあり、見ている方も覗き見ているような感覚でドキドキします。
鏡を使ったシーンが多く出てくるのも特徴。
お仕置き部屋で展開するエロチシズム、斬りつけた時に霧や噴水のように飛び散る血しぶきのグロさは、日本特有の「エログロ」表現とも言えますが、決して下品にはならず芸術的。
後ろ姿がシュッとしていて美しい松田優作さんのふんどし姿に、田中裕子さんの白くて滑らかな肌が醸し出すか弱さ、石田えりさんの肉感的で男性を包みこむような魅力ある裸体が重なり、三分割法による美しい配置で進みます。
古尾谷雅人さんや高部知子さんも後半の展開で身体を張った演技を披露。
役者さんが魂を削りながら演じているのが伝わってくるんですよね。
こういう芸術的で高尚な作風の日本映画って、今なかなかない気が。。
予算の問題や時代の流れで、身近で分かりやすい作品が好まれるんでしょうか。
昔の日本映画は気迫と覚悟があって見ごたえがあるなと感じます。
PS:映画の中に出産シーンがあるんですが、昔は立って出産していたんですね。天井から吊るした綱を握っていきむと、重力も伴って力が入りやすいというのもあるみたいです。
いつもご覧いただきありがとうございます♪
↓松田優作さん主演映画はこちらも見ました。
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