『砂の器』(1974年 日本)
松本清張に原作を超えたと言わしめた作品。
何回見ても心を動かされます。
今朝1日1映画は『砂の器』(1974年 日本)を鑑賞。
ひとりの老人(緒形拳)が何者かに殺害され、ふたりの刑事(丹波哲郎、森田健作)が事件を担当し、日本中をかけめぐる。
やがて、その事件の影に若き天才作曲家・和賀英良(加藤剛)の存在が浮かび上がっていく。
そして和賀は、交響曲『宿命』を作曲し、自らの指揮・ピアノ演奏でそれを披露しようとしていた…。
松本清張の同名ミステリ小説を原作に、松竹の巨匠・野村芳太郎監督が壮大なスケールで映画化したヒューマン社会派サスペンス巨編です。
過去に映画館などで2回見て、ドラマ版も見た作品ではありますが、また見ても言葉にならないような余韻が。
何回見ても考えさせられる作品ですよね。
見るたびに見方が違うので、いろんな楽しみ方ができるんですが、今回感じたことを。
お話自体が3楽章になっている。
1つ目は刑事が事件を追う話。
2つ目にピアニストで作曲家の和賀英良の今についての話。
3つ目が1と2の過去に何があったかの話。
ストーリーとしても3つあるし、日本全国を旅しながら追う者&追われる者の視点で映し出し、それぞれが何を見て感じてきたかを、四季折々の美しい風景情感あふれる音楽ととともに綴ってある。
要素としてはモリモリなんです。
でもとっちらからずにストーリーを追えるのは、この物語はちゃんとこちらの方向に進んで行きますよということを分かりやすくしてある。
その要素としての1つは映画全般に挿入されている、案内板のような役割をする「状況説明字幕」。
いつ、どこでの出来事という字幕はもちろん、この時代に偏見や差別についてどういう考え方があったのかというところも入れてあります。
そして「引き算」。
後半の和賀英良と父の過去に何があったのかを、今西刑事が会議で説明しながら、2人の過去の回想シーンがフラッシュバックのように挟まれる部分。
ここ、過去の回想シーンにはセリフはなく音楽のみになっていて、その様子がまるで無声映画+活動弁士のようなんです。
しかも現在の和賀英良が奏でている音楽が、過去の自分の回想に重ねてあることにより、ただ黙ってピアノを弾く和賀英良ですが、その内心が回想+音楽となってあふれ出てくる。
セリフ、音楽、状況説明など複雑な要素を整理して、どういう方法で見せたら最良のカタチで観客の心に響くかというのを考えられているんですよね。
ラストシーンも観客の想像力に任せる圧倒的な画で終わる。
圧倒的な画とメロディアスな悲劇は、イタリア映画『ひまわり』のようでもあります。
余談ですが(ネタバレを少し含むかもしれないのでご注意ください)、昔、インドのバラナシ(ベナレス)というガンジス川沿いの街に行ったことがあるんですが、人生の最後をガンジス川そばで迎える人々が集まってきている街で、沐浴はもちろん、洗濯やお風呂、人間も牛も水浴びをしていたりしますが、川のほとりにたくさんの火葬場があってそこで焼かれた遺骨はガンジス川に流すという聖なる町。
街角には観光客向けのおみやげ物を売る店が立ち並んでいるエリアがあり、そこで土産物を買ったんですが、お金を受け渡すときに指が変形していたりなくなっていたりする方がいらっしゃって。
そのエリアにはそのような方々がたくさんいらっしゃって、後でハンセン病の方々だと知ったんです。
インドではそのような方々が普通に商売を営む姿がありました。
死を待つ街・バラナシ(ベナレス)という場所にいらしゃるということがどういうことかという想像はするんですが。
現在は完治する病になりましたが、ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ、そしてコロナと闘っていう現在、この悲劇が見えない形で残っているような、今も他人事とは思えないような気もします。
名作はいつ見ても心を揺さぶる力があるのは、永遠なテーマを描いているからなのかもしれないですね。
PS.余談ですが、数年前にこの映画の主演・丹波哲郎さんの息子で俳優の丹波義隆さんが出演していたNHKの番組「ファミリーヒストリー」で、お母さまのお話があって。丹波哲郎さんの奥様・貞子さんは1958年に小児麻痺を発症し、車椅子生活を余儀なくされ、多忙を極めるなか哲郎さんが献身的に介護していたそう。息子の義隆さんが物心がついたときにはお母さま車椅子だったそうなんですが、哲郎さんの遺品の中から昔の8mmフィルムが発見され、そこには義隆さんが見たことがなかった、立って元気に歩いているお母さまの姿が。その8mmフィルムの映像に涙が止まらなかった記憶があります。
↓映画『砂の器』シネマ・コンサート予告(映画の場面が挿入されています)
いつもご覧いただきありがとうございます♪
にほんブログ村参加中