『恋人たちは濡れた』(1973年 日本)
俳優たちの圧倒的なエネルギーを感じる
神代辰巳監督による青春映画の歴史的傑作
今朝の1日1映画は『恋人たちは濡れた』(1973年 日本)を鑑賞。
海沿いの田舎町にやって来た克は、映画館のフィルム運びの仕事を始める。
どうやらこの町は克の故郷であるらしいのだが、「お前、克だよな?」と町の住人がいくら詰問しても、母親を連れて来ても「俺、この町は初めてだよ」とヘラヘラ笑うばかり。
克と関係を持つようになった映画館主の女房が、彼の過去に興味を抱くが…。
神代辰巳監督が独特のタッチで描いた日活ロマンポルノ初期の名作です。
神代辰巳監督はすごいっていうのは昔から聞いていたのですが、なかなか見る機会がなくて今回やっと鑑賞。
うん、すごいですね。
何がすごいって、その画面から伝わるエネルギーが。
見終わった今も余韻がすごい。
寺山修司の作品群に圧倒された十代の頃にこの作品に出会っていたらものすごく衝撃を受けて感化されてそうな雰囲気があります。
若者たち、田舎町、わびしく退廃的な雰囲気。
謎の過去を持つ男を主人公に話は展開するのですが、ミステリー要素は感じられず、感情の赴くまま行動する若者たちの姿が切り取られます。
鬱屈した小さな町の中で起こる、小さな波。
そこに何を見出すかでこの映画の面白さが変わる映画かもしれません。
私は「性(生)と死」「巡礼(歌)」を感じました。
まず「性(生)と死」。
人間の本能的な欲求としての性(生)。
大きく言えば、生きたいという生存本能と次世代に子孫を残すという本能。
だけどその裏側には「死」が存在する。
この作品に哀愁があり、心を揺さぶらされるのは、ただセックスシーンなどの「性」を描くことではなく、その裏側にある「死」も同時に描かれていること。
全編に「死」の様相が漂うのは、通常の110分の映画に例えると、後半の3分の2を映画している感じで、あらゆることの顛末の部分を描いているからかもしれません。
次に「巡礼(歌)」。
映画の中に、主人公や女性などが当時流行った歌(三波春夫、都はるみなど)を繰り返し歌うシーンがあります。
流行歌というのは実に刹那的で、それ自体が若者の気持ちのように移り変わるもの。
まるで明日がどうなるか分からない主人公たちの不安定さを象徴しているよう。
謎の男を追ってバスに飛び乗る女がつぶやく「衝動的だね」という一言。
このセリフがすべてを象徴しているような気がします。
また、巡礼の鐘と声明のような声、口上も繰り返し挿入。
男がなぜこの街に戻って来たのか。
その答えがこの流行歌や音楽によって表現されている。
男にとっては巡礼であり癒しでもあり、女にとっては男を見守るマリアの子守歌のようであり。
ひどい描写もあるんですが、ユニークな立ち振る舞いや、包み込まれるような優しい描写もあって、その緩急のふり幅がすごいですね。
砂浜の3人の馬跳びはふざけているようでなんとも言えない「行動」が「感情」生み出すシーンは見事。
ロングショットの美しさ、ジャンプカットの斬新さ。
この時代に女優とはいえ裸になることは今より数倍ハードルが高かった時代だと思うんですが、それでもやるというその覚悟とモチベーションを持った俳優たちが命がけ、全身全霊で取り組む現場の熱量を感じずにはいられません。
女性役の中川梨絵、絵沢萠子の圧倒的な演技や雰囲気も素敵だし、いろんな意味でエネルギーを感じる。
時代背景的に安保闘争後の虚無感が漂う若者たちを捉えた、歴史に残る作品ですね。
予告編↓
TRAILER - Twisted Path of Love (1973) | MUBI
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