『散り行く花』(1919年 アメリカ)
By United Artists - Link
リリアン・ギッシュの「萌え」的表情に魅了。
仏教伝道師の中国人青年と少女の運命を描いた名作。
今朝の1日1映画は『散り行く花』(1919年 アメリカ)を鑑賞。
仏の教えを説くためにロンドンに渡ったが、いまや夢破れてスラムの商人に成り下がった中国人の若者。
ある日、若者の店に、ボクサーである父からの度重なる暴力に耐えかねて家を出た少女が倒れこんできた。
若者は少女を献身的に看病するうち、恋心を抱くようになり…。
“映画の父”D・W・グリフィスがリリアン・ギッシュ主演で描いたサイレント映画の名作です。
いやー、この映画すごいですね。
映画としてのあらゆる要素が魅力的だし、歴史的にも興味深い。
まず映画の中見。
サイレントなので、フィルムの色の使い分け(セピア=昼、ブルー=夜、ピンク=ライト)や、字幕や解説がカット間に入るスタイルで、登場人物はこう思いました、というふうな心の声を文字で表現できるので、ある意味小説的な見方ができますね。
感情を補足するのは音楽で、喜怒哀楽に合った音楽が全編で添えられる。
では役者はというと、表情での感情表現がすごいんです。
サイレント映画というと、大げさな動きで笑わせるチャップリンのようなコミカルなものを想像しますが、グリフィス監督はカット割りでの切り返しを発明した人物で、ロングショット~バストショット、顔の超ドアップまで見事に使い分けている。
視線が交わらないカットつなぎ(例:AさんがBさんを見て、Bさんは
C(モノ)を見て、DさんがBさんを見ている)も、今の時代には普通ですが、この時代にすでに発明しているんですよね。
そして演技としては、もうこれは胸を打たれない人はいない少女の「ほほ笑み」。
長年にわたる父親からの虐待で笑顔になれない少女は、自分の口角を指で上げて笑顔を作ります。
このカットでセリフはなくとも、葛藤、悲しさ、哀れさ、辛さ、恐怖…あらゆる感情が少女に渦巻いている状況が手に取るように分かる。
感情が1つじゃない、いろんな感情を同時に表現したシーンでこれまでこんなに見事に表現されたシーンがあっただろうかと思うくらいの名シーンだなと感じます。
また、気持ちとは裏腹に「口角を上げる」という行為は有効で、笑いたくなくても無理やり“作り笑い”をすると、脳はだまされて楽しい気持ちになってくるということが脳科学的に証明されているので、それをこの時代にもうやっているというのにも驚きです。
次に、歴史的に見ると、公開は1919年(大正8年)で今から103年前。
アメリカでは1980年代から大挙してきた移民の制限をしていた頃。
黄色人種の台頭が白人文明ないし白人社会に脅威を与える「黄禍論(こうかろん)」という主張が持ち上がった時期で、1871年にチャイナタウンのゲットーで500人の白人男性が20人の中国人男性をリンチする虐殺事件が起き、1882年に中国人排斥法が合法化されました(1943まで有効/この頃日本人も脅威として認定)。
また中国人のアヘンの使用が退廃的で文化的に破壊的であるというマスコミの報道でパニックにも。
そういう時代に撮影された「中国人青年とアメリカ白人少女の恋愛映画」ということを念頭に置くと、この映画の見方が違ってくるんですよね。
中国人の青年はアメリカ人俳優が演じており、チャイナ服に細い目といういわゆるアメリカにおける中国人のステレオタイプなイメージにしてありますが、異人種同士の恋愛という親和的内容をこの時期に映画化していることに、映画というメディアの持つ社会的意義を感じます。
それにしても少女役のリリアン・ギッシュ、ものすごく魅力的ですね。
当時26歳で15歳の役をやっていますが、か弱さと儚さが詰まった「萌え」ともいえる表情が非常に豊かで、セリフがないのに彼女の感情がこれでもかと伝わってきます。
グリフィス監督作品には大作『國民の創生』(1915)や超大作『イントレランス』(1916)などにも起用されていますが、以前見た『狩人の夜』(1955)にも孤児院の先生役で出演していました。
ヒッチコック監督は、サイレント映画で映画を学んだと言っていますが、「画で見せる」サイレント映画は、セリフがなくても伝わる演技やカットとなっているので分かりやすい。
100年前から映画の技法って基本的にはそんなに変わってないことにも驚かされます。
映画のヒントはサイレント映画にありかもしれないですね。
アマゾンプライム、U-NEXTで見れます(音楽入り)。
著作権が切れているので、Youtubeでも鑑賞できます(音楽は無いです…/日本語字幕有)。
↓予告編
この映画の女の子役リリアン・ギッシュが91歳になって出演した感動作です↓