『田園交響楽』(1946年 フランス)
画像:リンクより
第1回 カンヌ国際映画祭(1946年)グランプリ他受賞作品。
同じアンドレ・ジッド原作の日本の作品と見比べてみました。
今朝の1日1映画は『田園交響楽』(1946年 フランス)を鑑賞。
雪深い山村に住む牧師ジャン(ピエール・ブランシャール)。
一人者の老婆が亡くなり、盲目の孫娘をジェルトリュード(ミシェル・モルガン)と名付け、家族の一員として育て始める。
ジェルトリュードは感受性の豊かな美しい娘に成長。
ジャンの妻アメリーはジェルトリュードにそそぐ夫の愛情を牧師としての愛以上のものと直感する。
一方ジャンの息子ジャックはピエットと婚約するが、盲目のジェルトリュードの清純な美しさに激しく引きつけられ…。
「しのび泣き」「悲恋」のジャン・ドラノワが、有名なアンドレ・ジッドの小説を映画化。
1946年の第1回カンヌの国際映画祭でグランプリ他を受けた作品です。
原作は未読なので何とも言えないんですが、牧師が主人公で盲目の少女を引き取るという設定はこちらの方が原作に近いですね。
やはり雰囲気が全く違っていて。
こちらは雪山に住む人々が舞台で、田舎町だけど教会が地域の人々のコミュニティーの場となっていて閉塞的な感じはしない。
牧師が主人公で、視力を得ることが罪であったという宗教的な世界観を感じます。
日本版は日本家屋や家族という閉鎖された空間やコミュニティーで起きる秘密めいた雰囲気。
その分性描写がダイレクトで、マスコミなどを入れ込み世間体を気にしながら生きる日本人独特の湿度みたいなものが映りこんでいる感じがあります。
人間関係が日本版よりフランス版の方がちょっと複雑かな。
そして一番違うのは日本版のホラーのような衝撃的なラストなんですけどね。。。
鏡を使った演出はどちらの作品にもあり、フランス版は斜め構図が多い。
斜め構図はスリルや不安感を演出する技法として使われることがありますが、この映画では信徒に説教をし、生き方を示す牧師という社会的立場の主人公が翻弄される愛の方向性の是非を問う場面で使われている気がします。
絶対的な「神」という存在があるプロテスタントの世界と、地域や社会のみんなでルールを作り守る日本という島国の人々との違いがなんか垣間見えますね。
見比べるといろんな発見があって面白いです。
PS:映画としての『田園交響楽』は、日本には1938年版もあって、監督:山本薩夫、主演:高田稔、原節子、佐山亮で公開されていました。こちらは高田稔(小学校長 日野東作)、原節子(盲目の娘 葉子)、佐山亮(東作の弟 進二)という配役です。
↓予告編
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