カトリーヌの「朝1日1映画」

朝の時間を有意義に♪

『人間の條件』第五部 死の脱出篇/第六部 曠野の彷徨篇(1961年 日本)

ここまで戦争を描いた映画ってないのでは。
戦渦における人間性をリアルに描く。

一昨日と今朝の1日1映画は『人間の條件』第五部 死の脱出篇/第六部 曠野の彷徨篇(1961年 日本)を鑑賞。

梶(仲代達矢)の所属する隊がソ連軍の攻撃を受け、梶を含む三人を残して全滅した。

彼らは四人の避難民と合流し、梶に従って移動を始める。

途中で日本軍の一個中隊と遭遇するが、避難民の中に女がいたことから罵られ、食糧を分けてもらうことができなかった。

やがて集落でソ連兵と出会ってしまい、梶はソ連の捕虜となってしまう…。

五味川純平の同名ベストセラー小説を、小林正樹監督が全6部で描ききった超大作の完結編です。

昨日は早朝からロケがありまして、撮影補助を行ったんですが、軽い熱中症になり、帰ってからも映画は見れずじまいだったので、今朝鑑賞。

いろんな意味で衝撃的で、考えが巡りますね。

戦争映画というと、その作戦や敵との激しい攻防がクローズアップされ、アクション映画の類に属したりしますが、この映画は戦闘の裏側では兵士たちがどのように扱われているかが描かれていて非常にリアル。

この映画で描かれている全ての「死」はあっけない。

ハリウッド映画のように劇的な音楽が流れてスローモーションになって涙をさそわない。

まさに犬死にです。

でもそれが戦争の現実なんですよね。

主人公が壮絶な目に遭いながらも、いつも妻のことを思い、最後まであったかいお風呂と食事のことを想像している心の声は、私たちと同じような生活を送っている人間が普通に戦争に行って地獄を味わうという恐怖をより身近に感じさせます。

特にこの第5部・第6部は、ロシア軍の捕虜となり、ロシアとの対立もありますが、捕虜となった日本軍組織内での対立も描かれる。

長期戦となると、軍は兵士がどんどん死んで少なくなり、食糧も枯渇。

もうここまで来ると敵を倒すためではく、奪い合いや内部の争いが起こり、兵士自身が生きるための行動ととるようになる。

国家の理想や主義を超えて、本当に「何のために戦争をやっているのか」が分からなくなってくるんですよね。

「国民を幸せにするのが国家であり、国民を不幸にするのが戦争である」と、紀元前500年ごろの中国春秋時代の軍事思想家孫武の作とされる兵法書孫子』にありますが、人間というのは、それを昔から繰り返してきているのだというのをまざまざと見せつけられます。

第5部では岸田今日子、第6部では高峰秀子が主要な一人として配役されていて、岸田今日子は濡髪などで女性らしさが、高峰秀子はロシア兵&日本兵たちに身を挺して集落を守る気高さがあって、それぞれ胸を打たれます。

また、2月に亡くなった川津祐介(撮影当時26歳)の主人公・梶(仲代達矢)を慕う実直な兵士・寺田の存在も川津さんの爽やかでまじめな雰囲気に合っていて。

冒頭とエンディングの背景に、戦争の人々をかたどったレリーフの彫刻が映るんですが、日本を代表する彫刻家・佐藤忠良による作品で、ピカソの《ゲルニカ》や、丸木位里丸木俊夫妻の《原爆の図》のような様相で、この映画の雰囲気を象徴していて非常に印象に残ります。

撮影は、中国ロケは国交がなく不可能だったので、北海道のサロベツ原野周辺で行われたそうなんですが、夏の日差しが照り付ける暑い時期から、雪原でのマイナスの気温の中での撮影まで、ほーーーーんとに過酷な撮影をされているのを見てもうそれだけで敬服してしまいます。

私の祖父も戦争に行っていて、生き残ったから今の私がある。

今生きていることがどれだけ幸運なのかを改めて実感します。

戦争の様相と人々の内面をどちらも描き切った、歴史資産にもなるぐらいの記録的戦争映画ですね。

↓第五部 死の脱出篇/第六部 曠野の彷徨篇 予告編

 
 

第一部&第二部、第三部&第四部の記事はこちら↓

katori-nu100.hatenablog.com

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