『羅生門 デジタル完全版』(1950年 日本)
ミニマムな世界観のなかに、多くの引き出しがある名作。
今朝の1日1映画は『羅生門 デジタル完全版』(1950年 日本)を鑑賞。
平安時代、都にほど近い山中で貴族女性が山賊に襲われ、供回りの侍が殺された。
やがて盗賊は捕われ裁判となるが、山賊と貴族女性の言い分は真っ向から対立する。
検非違使は巫女の口寄せによって侍の霊を呼び出し証言を得ようとする、それもまた二人の言い分とは異なっていた……。
原作は芥川龍之介の短編「藪の中」。
世界にクロサワの名を知らしめた歴史的作品です。
超名作ですけど、なんだか難しそうだなと思って見てなかったんですが、ああ、こういうことかと。
構成は、山の中で事件に出くわした4人が、法廷の前で証言をしていくサスペンス。
その証言が4人でまったく食い違っているという。
人間の欲や、人を信じることを描いてある。
あとは自衛のための嘘とか。
決して複雑ではなく、人間の本能的・原始的な欲求をシンプルに描かれていて。
人間の心理を描いた、学びの多い映画ですね。
登場人物は最少人数、ロケ地最小限で本当に低予算で作られたこの作品。
その分技法は工夫がいたるところにあって興味深い。
白黒映画ですが、コントラストの強い光と影が印象的で、太陽にカメラを向けるというそれまでタブーとされていた撮影もこの映画が最初。
構図も宮川一夫カメラマンによる絵画のような美しさが。
演技は感情の変化度合いのふり幅が半端なくて、泣いていたと思ったら次の瞬間大声でハハハと笑うなど、見ていてびっくりしてしまいます。
あとリアルを追求している部分は、髪の生え際が地毛で、鬘じゃないんですよね。
ほつれ毛やアホ毛が出ていて。
チャンバラシーンも今だと刀の「カキーン」「シュッ」っていう効果音がバリバリについていますが、そのものの音で(そういう効果を付ける以前の映画ではありますが)。
いわゆる計算された殺陣の立ち回りではなく、本当に刃物を向けられておびえている人の様相を演じていて、リアリティーがあります。
そして音楽。
前半、まるでラヴェルの「ボレロ」のような曲が流れ、各人物の証言の間に回想シーンが挿入されるんですが、あの後半に向けてだんだんボルテージが上がっていく音楽が、事件を思い浮かべながら自一人語り(証言)をしていくうち、自分の中で盛り上がって、物語を作り上げていっているんじゃないかと思うような様子があり、演技を盛り上げていてマッチしているんですよね。
ミニマムだけど、想像力を刺激してくれて、引き出しが多い。
そこが名作たる所以なんでしょうね。
この映画で世界のクロサワになった理由が分かります。
PS1:この修復されたデジタル完全版、すごくきれいで、72年前の映画とは思えないくらい。三船敏郎が、森雅之が、京マチ子が今生きていて活躍しているような錯覚さえしてきます。
PS2:夏に京都に行ったときに、『羅生門』がヴェネツィア国際映画祭で受賞した金獅子賞(グランプリ)のトロフィーのレプリカが大映京都撮影所跡地にあると聞いていたんですが、見つけることができず…。帰って調べてみると、跡地の碑の横の校門を挟んで反対側にあったのみたいで。すぐそばまで行っていたのにね…。その時の記事です↓
↓予告編
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