カトリーヌの「朝1日1映画」

朝の時間を有意義に♪

『祇園の姉妹』(1936年 日本)

女性の本音と嘘、絶妙な駆け引き…。
溝口健二監督がリアルにあぶりだす姉妹の生き様

今朝の1日1映画は『祇園の姉妹』(1936年 日本)を鑑賞。

人情に厚く男に尽くす姉の梅吉(梅村蓉子)と、気が強く男から金品を得ようとする妹のおもちゃ(山田五十鈴)。

二人は京都で有名な芸妓の姉妹だった。

ある日、梅吉の世話をしていた古沢(田中春男)が二人に家に転がり込んできた。

姉が留守なのを良いことに、今や破産し無一文となっていた古沢を、おもちゃは追い出してしまう。

二人はそれぞれ男を相手に商売を続けるが…。

溝口健二が自らの原作を監督した、最高傑作と評される人間ドラマです。

これ、面白いですねー。

義理があるから…と破産した男をかいがいしく見守る姉。

口から滑らかにお世辞や嘘を吐き、金品の貢がせる妹。

クラブにも銀座の高級クラブから地方のキャバクラまでいろいろあるように、花街にもランクがあるようで、こちらはちょっと下級の花街に住む芸子姉妹のお話。

お金に困ってる姉妹の、特に妹の色気のある京ことばを使いながらの“人たらし”っぷりが面白く、あ、これがまさにほめ殺しってやつだわとちょっと勉強になります(笑)。

特に、伝聞。

金持ちの呉服屋の旦那に「姉さんがこういわはるんどすわ」と影で姉が本当はあんたのことを好いているから姉さんの気を察してほしいと頼むシーン。

当事者本人から告白されるより、気になりますよねぇ。

おもちゃ自身も美味しい思いをする作戦なんですが。

後半はその作戦に暗雲が立ち込めていき…。

女性が男性に頼らなければ生きていけない時代。

女性の生き方をテーマに描く溝口監督の、女性の痛烈な叫びをダイレクトにセリフにしておもちゃ(山田五十鈴)に叫ばせています。

だた、ハリウッド映画でいうところのいわゆる「フィナーレ」部分がなく終わる。

一部のフィルムが消失してしまっているそうなんですが、どの部分が消失しているのか分からないのでなんとも言えないんですが、ラストが、もう少し続くよね?と思うところで終わる“ぷっつり感”があります。

(同じくフィルムが一部消失している新藤兼人監督『女の一生』もこんな終わり方でした…)

技法は、祇園の路地から玄関を入って奥の部屋までをクレーンで人物を追うトラッキングショットで滑らかに見せ、襖や障子、のれんなどでフレームの中をさらに枠で区切って印象付ける効果などが印象的。

キセルの金属部分や細い川(高瀬川? 白川?)の川面のキラキラが美しく、歩きながら神社にお参りしながらしゃべるっていうのも何気ないシーンですが面白いです。

この映画の時代背景が分からないんですが、撮影時の昭和11年だとしても、ワンピースを買ったり、ビルの高層階の景色のいい洋食のレストランへ食事にいったり、戦前は結構現代と変わらない生活があったんだなと思わされる。

こういう姉妹、今もきっといるいる。

86年経った今でも共感できるこの普遍性が溝口映画の魅力の一つかもしれないですね。

 
 

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