『無法松の一生』(1958年 日本)
ヴェネツィア国際映画祭グランプリ作品
主人公から「利他の心」を学ぶ
今朝の1日1映画は『無法松の一生』(1958年 日本)を鑑賞。
小倉の人力車夫・松五郎(三船敏郎)は喧嘩っぱやいが人情に厚い名物男。
そんな彼が陸軍大尉の家族と知り合いになり、大尉の戦死後、未亡人よし子(高峰秀子)とその子どもに愛情を持って奉仕し続けていくが…。
名匠・稲垣浩監督が戦時中の1943年に監督した名作を、同じ脚本(伊丹万作)でカラー・リメイクした人間ドラマで、ヴェネツィア国際映画祭ではグランプリを受賞しています。
タイトルはよく聞いてましたが、初鑑賞です。
なるほどー、松五郎みたいな人、知人にいるわーと、想像しながら見てしまいました。
それくらい主人公や、主人公が慕う家族に共感しながら見てしまう、いい作品ですね。
話の設定や展開としては成瀬巳喜男監督の『乱れる』や『乱れ雲』などのような未亡人と男性の話で、主人公を男性に設定して男性側の視点を軸に描いた作品。
だけど、それらの作品と決定的に違うのは、主人公の男性のキャラクターが不器用で義理硬く、一見荒くれ者だけど心はピュアピュアというめちゃくちゃいい人なんです。
人間の強烈な魅力の1つに“ギャップ”があるというのを何度も書いてるんですが(笑)、この松五郎というキャラクターはそのギャップが最大値に設定されている。
そこがこの映画の最大の見せどころなんだと思います。
奥手な理由や、なぜ人力車夫をやっているのかなど、酒を飲みながら心のうちを語る場面があり、人生の背景も知ることができ分かりやすい。
「置かれた場所で咲きなさい」という渡辺和子さんの言葉がありますが、まさに置かれた場所で一生懸命生きている松五郎の姿に人生の教訓を教えられるような感動を覚えます。
映画の技法としては、人力車の車輪、花火、天候などを登場人物の心模様であるメタファー(隠喩)として入れ込んである。
車輪などはトランジション(カットつなぎ)にも利用して話を進める役割を持たせてあり、アーティステックです。
フィルターも多用されていて、回想シーンへのつなぎではホワホワしたすりガラスみたいなのをかませてあったり、雨が降っているようなフィルターもあったり。
ネガポジフィルターみたいなのも、主人公の状態を表すように効果的な使い方で魅せてくれます。
カメラはアップショットは少なく、ミドルからバストぐらいで、割と全景を見せる感じ。
松五郎の芝居は目線の動きを捉える繊細なものというよりは、表情や動きが激しめなので、引いた画面でちょうどよく、その方がキャラクターを生かすからなんでしょうね。
そういう意味でも三船敏郎さん(当時38歳)ってこういった豪快な役がピッタリ。
また歌や小倉地方の訛りも楽しく、祭りや喧嘩などセットを完全に再現した群衆のシーンも見ごたえがあり(当時の仮装行列も面白い)、流れにも緩急が付いてワクワクします。
松五郎という人物を他己紹介のように浮き上がらせる部分は、松五郎が周囲の人に自己をささげてきた「利他の精神」を知ることができグッときますね。
欲を満たす生き方と、思いやりに満ちた生き方。
映画としても十分楽しめる作品でありながら、人としての生き方を考えさせられる深い作品です。
↓予告編
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