カトリーヌの「朝1日1映画」

朝の時間を有意義に♪

『こわれゆく女』(1974年 アメリカ)

Designer unknown. The production company was Cassavetes's Faces International Films, and it was distributed independently by Cine-Source and Cassavetes himself. - Scan via リンクによる

刑事コロンボの振り切れた演技
ジーナ・ローランズの愛を乞う緊張感

今朝の1日1映画は『こわれゆく女』(1974年 アメリカ)を鑑賞。

神経症気味の妻(ジーナ・ローランズ)を持て余しながらも、深い愛情から一人で家庭を切り盛りする、労働者階級の中年男(ピーター・フォーク)。

彼は市のベテラン水道工事員として、職場でも慕われている。

突然の水道のトラブルでしょっちゅう家を空ける夫に、妻の気持ちは次第に昂ぶり、ついに狂気の世界へ足を踏み入れる。

彼女もまた、抑えきれない強い愛情から、夫を苦しめてしまうのだった…。

現代人の閉ざされた人間関係の中での、純粋な愛情の探求を常に試みてきたジョン・カサヴェテス監督が、市井のありふれた家庭の中にその主題を求めた力作です。

カサヴェテス作品は昔映画館サロンシネマで「カサヴェテス・コレクション」という特集上映をしていて、フィルムマラソンを見に行って衝撃を受けた記憶が。

フィルムマラソンは夜10時頃から朝まで上映して、だいたい夜中3時ぐらいに眠くなるんですが、カサヴェテス作品は逆に興奮気味に見た気がします。

たしか日本で初めて一通りカサヴェテス作品を紹介するということで、その頃日本の映画界では皆こぞってカサヴェテスって言ってて。

当時買った厚手のパンフレットには黒澤明監督によるエッセイもあり、再読しましたが、その注目度が分かりますよね。

ということで、久しぶりに見てみたんですが、すごい緊張感のある演技。

喜怒哀楽の波の振れ幅が大きく、見ていて針が振り切れる思い。

夫婦の会話などのやり取りを、画面がほぼ顔ぐらいのクローズアップショットで綴り、まるでドキュメンタリー映画を見ているような感覚になります。

怒っていたかと思えばしばらくして優しくなる夫や、天津爛漫で誰にでも心を開くかと思ったら、次の瞬間心を閉ざす妻。

感情がリアルタイムで変化していく様子を細かく描写してあり、人間の感情が一辺倒ではなく多面的であることが分かります。

それまでのアメリカ映画は「キャラ設定」の中で演じるというのが一般的で、「面白キャラ」の人はずっと面白く、「怒りっぽいキャラ」の人はずっと怒りっぽいという、キャラが固定されていましたが、このカサヴェテス作品に出てくる登場人物は、キャラの感情に予測不可能な波があり、その様子は私たちと同じようにリアル。

まず感情が発生し、それに伴う行動を演じるという順序の演技です。

「性格」が「行動」を生み出すという図式から、「感情」が「行動」を生み出すという図式に組み替えた監督とも言えるカサヴェテス監督。

その後の映画に与えた影響は計り知れないと思われます。

この映画を見ていてこの人はいい人とか、この人のせいで悪い方向に…とか、そういう人を善悪で分ける見方はできない。

1人の人間の中にある長所・短所、本音と建て前のような多面性、多面性を持った人同士がどう折り合いをつけていくのかというところまで、上手く表現できないんですが、登場人物全員に対して大きな愛情を持って見届けることができる映画だなと思いました。

インディペンデントで予算がなく、友人知人に出演してもらったり、自宅でロケ、ヘアメイクも自前でやったりと大変だったようですが、その分、信頼しているファミリーのような製作チームの中で、みんなでアイデアを出し合って作品を作り上げていくスタイルで作品の質を高めることができたよう。

なぜこの演出が心をつかむのか。

予測付かない行動を描くカサヴェテス監督作品ってやはりいつ見ても魂を持っていかれますね。

PS:ジーナ・ローランズの鳥のように羽ばたきながら歌う演技は、『バーニング 劇場版』(2018年 イ・チャンドン監督)でのアフリカ帰りのシン・ヘミ役のチョン・ジョンソが鳥のように踊るシーンを思い出しました。

↓予告編

 
 

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