『許されざる者』(1992年 アメリカ)
Fair use, Link
アカデミー賞4部門に輝くイーストウッドの集大成作品
今朝の1日1映画は『許されざる者』(1992年 アメリカ)を鑑賞。
荒事からは足を洗っていたウィリアム・マニー(別名ウィル)(クリント・イーストウッド)の元へ若いガンマン、キッド(ジェームズ・ウールヴェット)が訪れる。
娼婦に傷を負わせ賞金をかけられた無法者を追うため。
マニーのかつての相棒ネッド(モーガン・フリーマン)を加えた3人は追跡行に出かけるが、その頃、町の実力者の保安官ビル(ジーン・ハックマン)は疎ましい賞金稼ぎたちを袋叩きにしているところだった。
やがてビルの暴力が黒人であるネッドにも及び…。
クリント・イーストウッドが、師匠であるセルジオ・レオーネ監督とドン・シーゲル監督に捧げた異色西部劇です。
イーストウッド監督作品はこれまで数作品見てきているんですが、どれもいい作品ばかり。
これはまた深くてジーンとする作品ですね。
その昔名をとどろかせた無法者がなぜ足ったのか。
彼の本質とは何なのか。
それを彼の言葉や行動を見ながら、鑑賞者が少しずつひも解いていくような内容になっています。
保安官とドンパチやる派手なアクションシーンというよりも、無法地帯であるこの西部の地で生き抜くために必要な精神や、主人公が過去に犯した罪から何を得て何を失い今ここにいるのか、それらを静かな佇まいから想像しながら見進める感じ。
図式としては“アンチヒーロー”なのでしょうか。
だからと言って、無法者を賛美するのではなく、保安官にも家庭があり、人としての幸せもある。
お互いの命を引き金を引いただけで殺すことができる「銃」というものや暴力の恐ろしさ、死のあっけなさなども訴えている内容のような気がします。
演技としては非常にミニマム。
まさに「視線」がものを言う世界。
その視線一つ一つに説得力があって、セリフがなくとも視線が語るシーンがたくさんある。
細かい演技なので、これはほんとはTVで見ちゃダメなんですよ。
大スクリーンで見ると視線の動きが良く分かって、もっとこの映画の魅力が伝わるんだと思います。
モーガン・フリーマンのうつむいてるだけの演技は、もうセリフがなくても何を言おうとしているのか分かるのが素晴らしい。
また、ウィルがネッドを賞金稼ぎの話に誘うシーンの、顔半分の照明の当て方も絶妙で。
これから何をしでかそうとするのかの期待と不安を光と闇で表現してあるんですよね。
こんなに美しい夕日のシーンは見たことないくらいというような画の美しさも。
『許されざる者』というタイトルは、“誰が”という主語がなく、いろんな立場から見ることができる平和公園の慰霊碑「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」のようなタイトルですね。
また映画館の大スクリーンで見る機会があったらぜひ見たい作品です。
↓予告編
クリント・イーストウッド監督作品をほかにも見ました↓