『マルコヴィッチの穴』(1999年 アメリカ)
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監督・脚本家の頭の中を見てみたい!
好奇心をとことんくすぐる、ぶっ飛んだ“穴”の中。
今朝の1日1映画は『マルコヴィッチの穴』(1999年 アメリカ)を鑑賞。
人形遣いのシュワルツは妻のロッテはひょんなことから映画俳優のジョン・マルコヴィッチの頭の中につながる穴を見つける。
そこに入ると誰でも15分間マルコヴィッチになることができた。
これを利用して商売を始めたところ、その“マルコヴィッチの穴”は大繁盛、連日行列が続き……。
スパイク・ジョーンズの長編デビュー作で、“俳優ジョン・マルコヴィッチ”の頭へとつながる穴を巡る不条理コメディーです。
もう面白すぎて、どこから説明していいのか分からないくらい好奇心のツボにハマりました!
日常的経験則にない、アッと言わせるシーンの連続。
オープニングでオーケストラの音合わせの音が聞こえる中フェードインすると、幕の下りた舞台が映る。
幕が開いたらオーケストラの演奏が始まる…と予想しますが、そこには大きな操り人形が。
このシーンで、舞台の縮尺が思った以上に小さい人形劇サイズだったこと、そしてオーケストラではなく、操り人形のリアルな演技が始まるという、予想に反する展開あって、もうこのファーストシーンで予想を覆す未経験の体験をしてしまうんですよね。
その先に進むと、見るものすべてに「えっ?」という建物、生活空間にある&いる動物、などが映り、徐々にこの映画のトリッキーな世界観に引き込まれていく。
技法としては視点(POV)ショットが用いられ、他人がどう見ているかというのを疑似体験できるようになっていて、主人公たちが覗き見るように、私たち観客も、男性俳優マルコヴィッチの日常をのぞき見しているような感覚になります。
これは「映画とは、非対称的な覗き見である」という映画そのものが持つ、観客が他人の人生の場面を一方的に見るという特性を上手ーくストーリーの中に入れ込んであるんですよね。
これによって、いつもは映画を見ている立場の私たちが映画の中に入り込み、登場人物に“見られている”感覚になる。
この「立場の倒錯」があらゆる倒錯につながり、男性目線を女性が体験することによる「性倒錯」も引き起こす。
さらに動物視点のショットから、動物の気持ちにもなれ、檻と動物と人間の関係性までも描いてある。
ここにLGBTQ的な恋愛が絡まり、三角関係ならぬ、直線関係が出来上がり、さらにストーリーを螺旋に仕立てる。
また、他人の身体を使って永遠に生きるという、アジア人にはなじみの輪廻転生的な発想も入れ込んであり…。
最初のちょっとした恋心や長生きしたいなどの「欲」がものすごい転がり方をして最後まで大きな振れ幅を持ち、終わっても人間はまだその「欲」にさいまなれる。
もう、ここまで書いただけで訳が分かんなくなっていますが、本当に知的好奇心をくすぐる引き出しが多すぎの傑作映画です。
PS:本人役の俳優ジョン・マルコビッチ、どこかで見たなと思ったら、『二十日鼠と人間』(1992)で知的障がい者のレニー役で出演している俳優さんなんですね。
この映画でもその役をほめるシーンが出てきます。
あの映画も名作ですね。
↓予告編