カトリーヌの「朝1日1映画」

朝の時間を有意義に♪

『ドゥ・ザ・ライト・シング』(1989年 アメリカ)

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ブラックムービーにとどまらない
ストリートに展開する世界の縮図。

今朝の1日1映画は「ドゥ・ザ・ライト・シング」(1989年 アメリカ)を鑑賞。

黒人の貧困層や、さまざまな民族が一緒に暮らしているニューヨークのブルックリン。

その年一番の猛暑の日。

黒人街にあるピザ屋でいさかいが起こった。

ある者が店内に黒人スターの写真が一枚も貼られていないことで憤慨。

経営者のイタリア人はそれを相手にしなかったが、この一件がきっかけとなり、やがて事件が。 

あらゆる住民を巻き込み、騒動が熱を増していき…。

監督スパイク・リーの名を世界中に知らしめたパワフルな衝撃作です。

公開当時に見てるんですが、こちらも見事に忘れていて再鑑賞。

私も当時はラップミュージックやストリートファッションに憧れて見聞きしていた身。
オープニングは街のDJによる軽快なトークで、歩きながらデカいラジカセを担いでパブリック・エネミーを大音量で聞いている若者も登場。

ストリートでみんながワイワイしている雰囲気から軽い気持ちで見始めましたが、映画を見終わるとズドーンと重い。。

差別について考えさせられます。

群像劇になっていて、街に住むあらゆる人種の老若男女(障がい者も含む)が繰り広げる小さなエピソードがたくさん盛り込まれ、それらが線となって集約されて渦となり、ものすごい力を持って1つの事件に立ち上っていくシナリオは、鳥肌がゾワーっとしますね。。

暴力という負の力(パワー)が倍速で増えていく瞬間を目の当たりしても何もできない感覚というか。

差別も黒人だけでなく、イタリア人、南米系、アジア人、ユダヤ人までが登場してカメラ目線で差別的な思いを吐くっていうのはかなり衝撃的。

それらをストリートという見えやすい所に集約してある感じで。

世界のあらゆるところで起こっている人種問題をこの映画は代弁しているような内容になってる気がします。

ちなみにタイトルの「ドゥ・ザ・ライト・シング」とは、「正しいことをする」「人として、当然のことをする」という意味。

「高潔さ」「誠実さ」「正義」の意味で、大統領から学生まで、アメリカでは日常的に使われる言葉です。

誰にとっての正しいことなのか…。

非暴力のキング牧師と、自衛のための暴力のマルコムX、それらを象徴するような役者や言葉が出てきて、正解のない社会で生きることの辛さや大変さを考えさせられます。
映画の技術について印象的だったのは「斜め構図」と「フレーミング」。

敵と対決したり、異論が出てくるシーンには、結構角度をつけた「斜め構図」を多用してあり、不安感を作りだし、“悪い予感”を分かりやすくしてあります。

フレーミング」は、部屋のいつも同じ窓から外を眺めている老女マザーシスターに、みんなの和を保とうとする心優しい老人ダディが恋心を寄せるシーン。

マザーシスターの横から老人ダディが花束を持って近づき彼女の気を引こうとします。
ここの力関係は圧倒的にマザーシスターの方が優位で、ダディが下。

マザーシスターにとって「窓枠」が彼女にとっての心のバリアであり、彼女の心へ侵入していくダディの姿を「窓枠」を使って象徴的に表現されています。

また一ついい映画を見ました。

↓予告編

 
 

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