カトリーヌの「朝1日1映画」

朝の時間を有意義に♪

「パルプ・フィクション」(1994年 アメリカ)

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カッコいいけど、その「カッコ悪さ」が魅力。
しびれる音楽とともに再び。

今朝の1日1映画は「パルプ・フィクション」(1994年 アメリカ)を鑑賞。

クエンティン・タランティーノが「レザボア・ドッグス」に続いて手がけた監督第2作。

1930~40年代のアメリカで流行した大衆向け雑誌の犯罪小説(=パルプ・フィクション)をモチーフに、3つのエピソードが交錯する斬新なスタイルで描いたクライムドラマです。

公開当時は映画の雰囲気、選曲のカッコよさにしびれまくり!

オリジナルサウンドトラックのCDを繰り返し聞いていました。

なので、久しぶりに見ても、CDの中に入っている劇中の音楽とセリフ(部分)はもう覚えているくらい鮮明に記憶がよみがります!

映画の内容を改めてみると、やはり素晴らしく、前後する時間、カッコいいセリフなど斬新さが際立ちますが、ドラマとしての構成は基本的であることに気づきます。

だけど個人的にグッとくるところは、「カッコ悪さ」。

ギャングが主人公ということで、普通だったら命と引き換えに組織を守ったり、銃でバンバン撃って命からがら逃げたりという、「悪=美」みたいな部分がクローズアップされることが多い気がするんですが、この映画は非常にリアル。

犯罪者が犯罪を犯したときにどういう気持ちになって、その犯罪の結果、どういうことが生じ、それらをどう処理するかというところまでが描かれていて、はっきり言ってそこは美しくないんです。

例えが変かもしれないんですが、犬の映像だったら、「かわいい犬」だけで編集してあるのではなく、その犬の「排泄物の処理」だとか「死んだときの対応」という、その犬が生き物で、かわいいだけでなくて、生きている裏側まで映っているというか。

(実際子犬のシーンから次のシーンで犬肉の話という流れもありますが…)

車内で人を殺してその血でベトベトになったシートを拭きながら、おじさんとおばさんから結婚祝いにもらった高級シーツで隠すなんていうシーンは、リアルというか、殺ってしまった後の情けなさまで映していて、人間が生きるとは、死ぬとは、殺めてしまうとは…というかなり深い部分まで掘り下げて見せつけられるんですよね。

コミカルなシーンもたくさんあって、必ず主人公がトイレに入っている時に事件が起こるなど、人生は喜劇と悲劇が裏表だという側面も。

フィナーレは、ダイレクトに神への許しが描かれていて、キリスト教に詳しい方が見るとまた違った見方で見れる気がします。

さらっと見ると、たわいもない会話の映画という印象もありますが、ちゃんと見ると伏線に次ぐ伏線や暗示がもうてんこ盛りで、練りに練られたシナリオだということも文句ない。

また、刀や日本軍などのモチーフも出てきて、日本好きの監督だけに、日本人が見るとぐっとくる要素があるのかもしれないです。

映画史に革命をもたらした名作はやはり面白いですね。

↓予告編

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