「戦艦ポチョムキン」(1925年 ロシア)
27歳にして、人間の知覚+聴覚などの意識をつかむ編集を発見した監督ってすごい。
「オデッサの階段」と呼ばれる、赤ちゃんを乗せた乳母車が、階段をガダガタと降りていくシーンで有名ですよね。
昔、見た気がしてたんですが、再度見てみました。
お話としては1905年に実際に起きた「戦艦ポチョムキンの反乱」を描いたもの。
この時、日本とロシアは日露戦争中ですけど、日本は映画に出てこないです。
当時、ロシアは戦争に負け続け、頻繁に国内で反乱や騒動が起きていて、その最たる反乱の1つがこの「戦艦ポチョムキンの反乱」。
艦隊の昼食として、指揮官に「食べろ」と出されたのが腐った肉を使ったスープ。
それを水平が「いやじゃ!」と食べなかったことをきっかけに、反乱が起きる。
この出来事がオデッサの民衆を巻き込み、ロシア政府軍が鎮圧のために動き出し…。 みたいな内容。
戦争とか軍隊とかの制約のある極限の状態って、人間の本質や原始的な欲求が現れてきやすいですが、それを映画にすると、小さな事件のきっかけが、大きなうねりになり、感情や欲求が高まりやすいストーリーにできるということを改めて知ります。
この映画で語られるべきは、その編集の凄さなんですが、「モンタージュ」についてはもう語りつくされていますけど、個人的に思ったことを。 見せたい部分を再度アップや合成などにして見せたり、多角的に撮影して全体像をより強調して見せたりする。
リアルな時間経過を無視し、人間の知覚的な時間経過(時間を長く感じたり、短く感じたりなど)を表現する編集技法なんですよね。
今では多様されて当たり前になっていますが、この映像手法を発見したエイゼンシュテイン監督ってすごいです。27歳で。
例えば、兵士の想像上の場面をニ重に合成して重ね合わせたり、細かな服の穴をアップで見せて貧富度合いを分からせたり、政府軍からオデッサの民衆が逃げまどう階段のシーンでは、大衆の中に、足を失った人や子供、赤ちゃんを乗せた乳母車など、弱者に焦点を当てて描かくことで、より大衆の弱さが強調されていて。
リアルとは何なのか、っていうことを改めて考えさせられます。
見せたい絵を強調する、マンガのコマ割りにも通じる気も。
使用されているクラシック音楽も、場面や感情にマッチした音楽が使用されています。
大勢のエキストラさんの画面的存在感も半端ない。
モノクロ映画だけど、スピーディーで見るものの感情を捉える編集+音楽は、語り継がれるだけのことはありますね。
日本では著作権切れとなっていて、YouTubeで無料で閲覧可能です。