カトリーヌの「朝1日1映画」

朝の時間を有意義に♪

『斬る』(1962年 日本)

「人は他人を不用意に殺す場合がある。それは剣ではない。言葉だ。」(映画より)
脚本・新藤兼人雷蔵×三隅による、静かな熱情

今朝の1日1映画は『斬る』(1962年 日本)を鑑賞。

天才剣士・高倉信吾(市川雷蔵)は、三年の武者修行のなかで、“三絃の構え”という異能の剣法を会得し、故郷に帰ってくる。

つかのまの平和な日々。

しかし、ある日、父の信右ヱ門(浅野進治郎)と妹の芳尾(渚まゆみ)が隣家の池辺親子に惨殺され、死に瀕した信右ヱ門から自らの出生の秘密を聞いた時から、信吾の悲劇の命運は回り始める…。

眠狂四郎」シリーズで知られる柴田錬三郎の小説を、新藤兼人が脚色、三隅研次が監督と、豪華スタッフで作り上げられた、市川雷蔵の代表作にして大映時代劇です。

昨日放送されたBSプレミアムシネマを録画して朝鑑賞。

いやー、カッコいい。

いわゆる時代劇のイメージって「予定調和」「明るい照明」「観た後すっきり」というのがあって、良くも悪くも心がざわつくことはあまりなかったりしますが、この作品はその逆で、冒頭からザワザワさせてくれる。

半分だけ顔をのぞかせた女性の顔のアップ、それがシルエットになりカラー映画なのにモノクロの世界。

まばゆい太陽のアップ、床を気忙しく歩く女性の足元のアップ…。

パーツばかりで全体像が映らないので、なになに、何事?と思っていたら、次のシーンですごい派手なオルガンの音楽とともにものすごい険相をした女が寝ている女に斬りかかる…。

はい、もう見ていて心の臓をグワっとつかまれました。

チラリズムなカット割りや光と影の扱い方。

梅の花、茶室、鶯のホーホケキョという鳴き声が静かでのどかな雰囲気を演出しつつも、同じ空間で、生死を分ける闘いが繰り広げられる。

これ以上の緩急があるでしょうか。

三隅研次監督作品を見るたびに、人の心がどうやったらつかめるのかを知りえているよなぁと思ってしまいます。

主人公は母を知らずして育った剣士。

その悲しみが、市川雷蔵の物言わぬ表情ににじみ出ていて。

雷蔵さん自身、生後半年で養子に行き、30歳を過ぎた頃、生母の富久さんと初めて対面しました。

また、三隅監督自身も妾腹の子として生まれ、成人するまで母親に一度も会うことなく育ったという生い立ちが。

二人とも主人公と似た境遇であったことが、深い悲しみの演技を醸し出しているのではないかと想像します。

短い映画ながらも、時間経過の表現として字幕を入れるなどテンポよく、グィーッとラストシーンまで持っていく推進力のある構成。

斬らずして打ち負かす、将棋の「読み」のような殺陣にも魅了される。

三隅研次作品は裏切りませんね。

 
 

三隅研次監督作品はこれらも見ました↓

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『心中天網島』(1969年 日本)

「あんたを愛しいと思ったら、どんなことでもできるんと違いますか」(映画より)
文楽の世界観をアバンギャルドな手法で魅せる名作

今朝の1日1映画は『心中天網島』(1969年 日本)を鑑賞。

紙屋治兵衛(中村吉右衛門)は女房おさん(岩下志麻)と子供のある身でありながら、遊女小春(岩下志麻※2役)と深く馴染んでいた。

ついには妻子を捨て小春と情死しようかという治兵衛の入れ込みように、兄・孫右衛門(滝田裕介)はこれを放っておくことができなかった…。

近松門左衛門の同名原作を斬新な演出で映画化した篠田正浩監督初期の傑作。

詩人の富岡多恵子、音楽家武満徹が共同脚本に当たっています。

今夜、人形浄瑠璃 文楽を見に行くので、その世界観を予習も兼ねて見てみました。

文楽の演目は大きく分けて歴史的事件を描く「時代物」と庶民の生活や風俗を描いた「世話物」があり、この作品は「世話物」の方。

男女の許されない恋のお話です。

先日見た『曽根崎心中』と同じパターン。

あっちはものすごい熱量を持って死に向かう二人が描かれていて、この映画もそのベクトルは変わらないんですが、周りにわらわらと黒子がいる…。

しかも黒子が“黒幕”みたいな存在感を醸し出す。

前衛書道家で監督の従姉・篠田桃紅による絵がにぎやかにし、黒子や遊女をアングラ演劇の天井桟敷の面々が演じる。

江戸の街を舞台にした前衛演劇を見ているような雰囲気です。

だけど、セリフは超絶分かりやすい。

難解な作風を難解なまま落とし込むのではなくて、分かりやすさを加味することで「斬新だけどとっつきやすいよね」という、エンターテインメントに押し上げられている。
私はこれを個人的に「コンドルズの法則」と呼んでいます。

難解&前衛的な「コンテンポラリーダンス」ですが、誰もが知っているアイテム「学ラン」を組み合わせると、新しいけど懐かしい、とっつきやすいものが出来上がるという。

この年のキネマ旬報ベストテン第1位や毎日映画コンクール日本映画大賞など、多くの賞を受賞したのもうなづけます。

治兵衛の女房おさんと、浮気相手の遊女小春を岩下志麻が1人2役で演じていて(メイクがあまりにも違っていて私は気づかなかったんですが…)、立場としては反対ではありますが、どちらも治兵衛という1人の男を愛する気持ちには変わらないという女ごころが痛いほど分かりまして。

女の性(さが)がよく描かれた作品ですね。

山口県・岩国市にある木組みの橋・錦帯橋を渡るシーン。

息が白くて(寒空のロケ)、追い詰められた感があっていいですよね。

当時25歳の中村吉右衛門さん、28歳の岩下志麻さんのおくれ毛や乱れ髪が艶っぽい濡れ場シーンもモノクロ映画ならではの官能が。

この雰囲気のまま、今夜見る文楽の舞台の楽しめそうです。

PS:先ほど舞台を見てまいりました。生の迫力あるお囃子、雰囲気があっていいですね。太夫の振り絞るような感情による語りや1体の人形を3人掛かりで動かす人形遣いによる繊細な人形の動きはもちろん素晴らしいんですが、太夫が床本(台本)を置く「見台(けんだい)」に見とれてしまって。漆塗りに松と鶴の蒔絵が施してあって、見ていてうっとり。工芸品として素晴らしいです。

 
 

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『白鯨との闘い』(2015年 アメリカ)

By IMP Awards, Fair use, Link

メルヴィルの名著『白鯨』に隠された真実を映画化。
捕鯨船の乗組員たちの死闘を描く。

今朝の1日1映画は『白鯨との闘い』(2015年 アメリカ)を鑑賞。

1819年、エセックス号のクルーたちは鯨油を入手するためにアメリカ・マサチューセッツ州のナンタケット島を出港する。

一等航海士オーウェンチェイスクリス・ヘムズワース)をはじめとする乗員たちは、太平洋沖4,800キロメートルの海域で白い化け物のようなマッコウクジラと遭遇。

彼らは強大な敵を相手に必死で抵抗するものの船を沈没させられ……。

ハーマン・メルヴィルの「白鯨」の裏側に迫るナサニエル・フィルブリックのノンフィクション「復讐する海 捕鯨船エセックス号の悲劇」を基に、『アポロ13』『ビューティフル・マインド』のロン・ハワード監督が描く驚異のサバイバルドラマ。

19世紀を舞台に、白い大型のマッコウクジラ捕鯨船の乗組員たちとの壮絶なバトルを描いてあります。

先日見たジム・ジャームッシュ監督『デッド・ドント・ダイ』(2019)にも出てきた、アメリカ文学を代表する名作で世界の十大小説の一つとも称される小説「白鯨」。

それをモチーフにした映画を見てみました。

映像としては、海を見下ろす上空からや水中撮影、船員の甲板での手元のアップまで2秒から4秒程度のマルチアングルのような激しい動きや素早いカットのカメラワークが続き、終始飽きさせない。

水やプールを使ったスタジオでの撮影に加え、スペインのカナリア諸島ラ・ゴメラ島ランサローテ島でロケ撮影。

鯨の大群などはCGとの合成でものすごい迫力シーンが続くので見ごたえがあります。

内容はタイトルの通り、白鯨との闘いを繰り広げる“モンスターもの”とも言えるんですが、海上での仲間や自分との闘いを繰り広げる“サバイバル要素”が同時に描かれていて、そっちの方がグッとくる。

海上で船員たちが生き残るための様子は、戦争がもたらす悲劇に似ていて。

だけどいいとこ取りというか、2つのテーマを描くということは1つのテーマの深堀りはできないわけで、その分深い感動が描けず薄まってしまっている感じは否めないですけどね。

もっと捕鯨作戦を企てたり、各登場人物の背景エピソードを盛り込んだりすると人間ドラマとして深みが出て感動が倍増するとは思うんですが…2時間には収まり切れませんね。

昔は鯨油が電気がなかった時代に明かりを灯すための燃料として用いられていたことが良く分かる描写が。

採取方法は、船上でクジラの頭の部分に穴を開けて、中に人が入って油をくみ出し、船上に設置した炉と釜で煮て採油し、採油した油は船内で製作した樽に保存。

大変な思いをして製造している工程を見るだけでも歴史的価値があります。

さまざまな部位を活用できるクジラ漁は利益を生み、保険や投資の対象になっていたのもよく分かる。

小説版は難解な作風で読むのに苦労しそうですが、映画だと新たな視点で見ることができて勉強になりますね。

PS:コーヒーチェーン店「スターバックス」の名前は、原作の小説版に出てくる一等航海士スターバックに由来しているそう。

↓予告編

 
 

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『デビルマン』(2004年 日本)

ダンテの「神曲」からイメージされた漫画&アニメの実写化作品。
勇気をもって鑑賞してみると…。

今朝の1日1映画は『デビルマン』(2004年 日本)を鑑賞。

両親を亡くし牧村家に引き取られ高校生活を送っていた不動明伊崎央登)。

親友・飛鳥了伊崎右典)の父の死をきっかけに“デーモン=悪魔"の合体を受ける。

そして明の強い意志により人間の心を残したまま半分人間半分悪魔のデビルマンとなる。

やがて人や社会に潜む“悪の心"がデーモンの人類滅亡計画に荷担していき…。

様々なテーマが交差する衝撃的なストーリーとその壮大なる世界観で全世界を熱狂させた800万部突破の永井豪の伝説のコミックを実写化した、那須博之監督の遺作となった作品です。

昨日見た『ハンニバル』のセリフに出てきたダンテの「神曲」。

デビルマン』も、原作の永井豪氏が幼い時に読んだダンテの「神曲」が原点で、そこから“魔王ダンテ”というイメージを発展させて作った作品とのことで鑑賞。

でも見るのにちょっと勇気が。

というのもこの作品、酷評されているんですよねぇ。

まずいラーメン屋がどんだけまずいのか知るために食べに行く行為は、コストパフォーマンスとタイムパフォーマンスを重視するZ世代からするとありえないかもしれないんですが、昭和世代にはそれもエンターテインメントですので(笑)、見てみました。

いやいや、個人的には思ったほど悪くはない気が。

原作の漫画やアニメをちゃんと見ていないので、比較はできず(原作とは変えてあるようですが)、単体として見ての感想ですが。

デビルマンとしての運命を背負ってしまった一青年が、育ての親や好きな女の子を守るためにデーモンと闘うという悲しみは伝わってきます。

主人公自身の葛藤はそこまで描かれていないのと、友人(双子が演じているのでどっちがどっちか訳が分からなくなりそう)の目的や友情のきっかけは不明ですけどね。

で、今見ると、コロナVS人間にも思えてくるんですよね。

「あいつはデーモンだ!」と噂が噂を呼んで、確かめもしないで攻撃するとか。

ありましたよね、コロナ初期の頃の差別。

またデーモンを退治する警察が白い防護服を着ているので、原発の時の見えない敵、放射能との闘いにも見える。

そして、VFXを駆使して作り上げられている爆弾や焼野原はロシア・イスラエルの戦争にも。

人間が自滅していく様子を象徴しているようでもあります。

この映画が撮られたのが18年前。

世の中を予想していたかのような描写に見えてしまうんですよね。

描写としては、かなりグロい場面があります。

でも昨日の『ハンニバル』の後なので、そこまで…(苦笑)。

日本の風景や思考にはなじまないので、ちょっと浮いてしまっている感じはありますね…。

全体的に身近なストーリーと派手なアクションとで構成し、人間の業や教訓を入れ込んである。

そういう見方をすると、意外に感慨深い作品です。

撮影については、エキストラさんがたくさん出ていて頑張っているし、道をふさいで車もひっくり返してとか、土砂降りの中でのシーンは苦労したんだろうなとか、どうしても作り手目線で見てしまうので、悪くは言えない性が…。

役者さんも主役の方はよく知らない方なんですが、宇崎竜童&阿木燿子冨永愛染谷将太ボブ・サップ大沢樹生、きたろう、小林幸子KONISHIKI的場浩司嶋田久作etcと豪華な顔ぶれ。

故・今井雅之さんの元気な姿も拝めます。

個人的には見てよかったですし、原作の漫画やアニメも見てみたくなりました。

PS:撮影&公開当時、メイクは細眉が流行っていて、主人公などが細眉なんですが、意志の強さを表すには太い眉の方が合っているんですよね…(アニメは太眉)。まあ流行なのでしょうがないですね…。

↓予告編

 
 

おじさん役の宇崎竜童さん、32歳の時の熱演も素晴らしい↓

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『ハンニバル』(2001年 アメリカ)

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まるでオペラのような荘厳さ
禁断のサイコ・ホラー

今朝の1日1映画は『ハンニバル』(2001年 アメリカ)を鑑賞。

アカデミー賞を受賞した傑作サスペンスミステリー「羊たちの沈黙」の続編。

あの惨劇から10年、殺人鬼レクター博士からクラリスに1通の手紙が届く。

そこには“クラリス、いまも羊たちの悲鳴が聞こえるか教えたまえ”と記されていた……。

トマス・ハリスの同名ベストセラーを「ブレードランナー」「グラディエーター」のリドリー・スコット監督が映画化。

レクター博士は前作に続きA・ホプキンスが、そしてFBI特別捜査官クラリスはJ・フォスターに代わりジュリアン・ムーアが演じています。

こういう続編って普通はまず前作の『羊たちの沈黙』(1991年)を見てから見るもんだと思うんですが、前作は観てない(見ていても忘れている)状態で鑑賞。

怖い作品とは聞いてましたが、「キャーッ!」「やめてー!」っていう被害者側の命の危険に対しての恐怖はあまりないですね。

「うわうわうわ…」「あららら…」という加害者による残忍さの顛末を見せ付けられる怖さの方が勝る。

ある意味「変態映画」の部類です。

昔のヨーロッパでは死刑として首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑というのが普通にあったので、見慣れた光景だったのかもしれない。

でも現代人が見ると、脳の普段使わない部分のシナプスがビュンビュン伝達しているような軽い興奮と疲労を伴う感覚があって刺激的です。

個人的に見どころだなと思ったのは美術。

レクター博士のような殺人鬼って、道徳の範疇を超えたその先の世界を追求する欲望の強さがあるんですが、それは殺人だけでなく、その他の分野においても究極的。

その一つが美に対する追求で、落ち着いた色調の部屋にならんだエレガントな調度品、キッチンに並んだプロフェッショナルな調理器具、高級そうなアンティーク家具…。

丸いフォルムのものではなく、どちらかというと四角いフォルムの物が多く、きちんとした雰囲気があってレクター博士の完璧主義のような性格を象徴しています。

また、大富豪メイスン・ヴァージャーの家も豪華で、花瓶に必ず花が刺されていて、黄色や紫などの花の色が画面の構図の中でアクセントになっている。

あとは霧や雨、光と影、蜘蛛の巣までもがこの映画の荘厳な世界観を作り、そこに静かにクラシックの舞踊曲や歌声が響きわたる。

“殺人劇場”というべき、映画全体が至福のひとときを過ごすオペラのような雰囲気があるんですよね。

ただのサスペンス映画やホラー映画ではない、神に近い領域というか。

レクター博士のセリフとして世界文学の最高峰、ダンテの「新曲」(映画では新生)の一節が出てきます。

「楽しい恋とは彼の手に心臓を掴まれること」…など。

こういう象徴的なセリフもレクター博士の内面を象徴していてゾワゾワとさせてくれます。

五感を刺激するアイテムの使い方や派手なアクションも見ごたえあり、心理面からの恐怖感やホラー的なブラックな皮肉も味わえる後味の悪い映画です(←いい意味で)。

PS:イノシシのシーンって、『孤狼の血』のブタ小屋のエグいシーンと似てますよね。白石和彌監督、もしかしたら影響を受けているのかも。


↓予告編

 
 

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『ロマンス』(1996年 日本)

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/81lAH+mygfL._SX300_.jpg

画像:リンクより

玉置浩二×ラサール石井×水島かおり
即興から作り上げた、
恋愛の距離感を味わう大人の青春映画。

今朝の1日1映画は『ロマンス』(1996年 日本)を鑑賞。

タイプも生き方も違う二人の男、不動産業者の柴田(玉置浩二)と市役所勤めの安西(ラサール石井)。

二人がひとりの奔放な女性・霧子(水島かおり)と出会った。

3人でいる時、彼らの心は何故か浮き立ち、10代の少年少女のように自由になっていく。

それぞれの思いや人生を抱きかかえながら、3人のガラス細工のような時間が過ぎていき……。

『誘惑者』『ナースコール』の長崎俊一が監督&脚本で描く大人の切ない恋の物語です。

昔、湯布院映画祭に隔年で観に行っていた時期がありまして、その時に「特別試写作品」として上映されていたのを見た記憶が。

長崎俊一監督、主演の水島かおりさん、ラサール石井さんがゲストで来場され、シンポジウムやパーティーでもお見かけしました。

なつかしさと、内容を忘れているので再鑑賞です。

「青春はいつ、どんなふうに終わっていくのか」。

長崎俊一監督のそんな思いから制作が始まったこの映画。

30代後半の2人の男性の間を風のようにひらりと交わしながら行き来する赤い服の1人の女性。

それだけで物語が展開する予感がしますよね。

俗に言う“不思議ちゃん”っていうのでしょうか、突拍子もない言動や行動、その場の空気を全部持っていく存在感。

男性の心の隙にスッと入る技を持っていて、いつの間にか目の前からいなくなっているにも関わらず、彼女のことが頭から離れなくなっている…。

そんな女性を水島かおりさんが演じていて、ああ、こういう女性いたなと記憶の中の知人を探してしまいます(←確実にモテますよね)。

男性2人の設定や関係性も面白く、2人は学生時代の同級生ですが、主人公は小説家を夢見る役所の開発課のさえない職員、友人は不動産デベロッパーをしている成功者という主従的な取引関係があり、当時のバブル社会を象徴していて。

そんな青春を消化しきれないまま大人になった3人が、数か月間を過ごす中で、はしゃぐように楽しみ、ぶつかり合い、それぞれの道を見つけるまでが描かれます。

見ていて、ちょっと聞き取れないくらいの早口でしゃべっている玉置さんや3人の会話を聞いて、これってアドリブ?と思ったら大正解。

シナリオは設定だけ。

セリフはその時々の状況に応じて自発的に発したものを作り上げてあります。

なので、雑談を交わしているかのような雰囲気や、気持ちの奥から言葉が発せられているかのようなリアリティーがある。

現場スタッフも15人という最少人数で撮影。

即興のセリフや動きを生かすためミーティングとリハーサルを何度も重ねて作り上げられました。

楽しそうな食事のシーンでは場面が飛ぶジャンプカットも。

青くて暗い夜空を見上げるシーンが印象的で、夜に起こる出来事が夢のように思える。
映りこんでいる現場の空気が伝わり、居合わせているかのような感覚があって、今見てもキュンと染みますね。

PS:塚本晋也監督や内藤剛志さんも出演。若くてなんだかかわいいです。
長崎監督は主演・霧子役の水島かおりさんと結婚。
10月14日公開の監督最新作『いつか、いつも‥‥‥いつまでも。』には水島かおりさんも出演&脚本を担当されています(脚本家としての別名:矢沢由美)。

 

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『緋文字』(1972年 西ドイツ・スペイン)

画像:Link

ドイツ映画界の巨匠ヴィム・ヴェンダース監督の初期作品
姦通の罪で差別される女性の過酷な人生を描く

昨朝の1日1映画は『緋文字』(ひもんじ)(1972年 西ドイツ・スペイン)を鑑賞。

イギリスから新天地アメリカへ移住してきたヘスター(センタ・バーガー)。

彼女は奔放な性格だったため、色眼鏡で見られ土地で孤立してゆく。

しだいに彼女は寂しさをつのらせるが、一人の牧師(ルー・カステル)が現われて彼女をなぐさめる。

だがある日、ヘスターが姦通の罪を犯したと発覚、彼女は村八分になってしまう…。

植民地時代のアメリカで、姦通の罪を犯した女性の生きざまを見つめるナサニエルホーソンの名作を、巨匠ヴィム・ヴェンダースが全編ドイツ語で映像化した作品です。

ヴィム・ヴェンダース作品は『ベルリン・天使の詩』(1987)ほか、何作品か見ているんですが、深い感動を呼び起こされる印象。

この作品は監督の初期の作品で、コントラストの強い黒を基調とした色味が、重くて暗いヨーロッパの風景画を見ているような雰囲気がありますね。

未婚の母と子が「その子供の父親は誰だ?」とののしられながらも生きなければいけない生きづらさ、その子の父親であると言えない社会的立場、元夫のメラメラと静かに燃える嫉妬心が静かに描かれています。

この映画、すごく音楽が特徴的で、特に前半に流れるテーマ曲は印象に残る曲なんですが、今の時代に聞くと映画の雰囲気とは合ってない気も…。

テーマ曲に公開当時の70年代の雰囲気が漂っていて、公開時に見ると違和感なく見ることができたと思うんですが、令和のこの時代にみると、ちょっと浮いてしまっているというか。

音楽を手掛けているのはユルゲン・クニーパーというヴィム・ヴェンダース専属といってもいいくらいの映画音楽の作曲家で、数々の映画音楽を手掛けているんですが、この曲は映画音楽というよりは単体で聞いても聞けそうな曲。

コーラスがワー♪と入って、希望的な未来が待っていそうな雰囲気があるんですが、画に映っているのは辛い人生を歩む母と子というミスマッチもあって。

一方後半はグッと感情に寄り添う音楽になっているんですけどね。

撮影はケルンのスタジオで行われ、外観はスペインのガリシアで撮影。

技法は、日中の撮影だけど夜に見せる夜間露出を見ることができます(影で分かる)。

すんごい遠くまでくっきり綺麗に入り込んでいるシーンが何か所か出てくるんですが、ミニチュアの船などを使った強制遠近法を使っているそう。

美しい画には、秘密が隠されているのですね。

ちょっと『ピアノ・レッスン』(1993)のようなテイストもある、登場人物の秘めた苦悩を描いた作品です。

 
 

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